ブレンデル マッケラス指揮ウィーン・フィル モーツァルト ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271「ジュナミ」(2008.12.18Live)

人の世の闘いに疲れた魂にとっては、港こそ、こよなき休息所である。空の広大無辺、流れゆく雲の建築、移ろいやまぬ海の色、煌めく燈台、それらは、絶えて人の眼を疲らすことなく、ひたすらにそれを慰める不思議なプリズムである。浪あって調和ある動ぎを伝える、複雑な帆網を艤って、すっきりとした船舶の姿は、能く人の魂に、美と韻律への好尚を保たしめる。而してここにわけても、既に好奇心と野心とを喪いつくした者にとって、或は望楼の中に臥しながら、或は防波堤の上に肱つきながら、発ちゆく者還り来る者の、なお希望を抱く力ある者、なお旅をゆきまたは富をなさんと願う者の、これら総ての運動を眺めやることには、一種神秘的にして貴族的なる快楽がある。
「港」
ボードレール/三好達治訳「巴里の憂鬱」(新潮文庫)P146

巨星がどんどん堕ちて行く。
僕はこの人の熱心な聴き手ではなかった。
どちらかというと端正で優等生的な解釈の音楽に(先入観もあって)興を殺がれ、ほとんど無視し続けていたけれど、久しぶりに最後のコンサートの様子を記録した音盤を聴いて、やっぱり素晴らしい音楽家だったんだと確認し、実演含めもっと真面目に聴いておけば良かったと後悔。色眼鏡はいかぬ。

過去の記事を振り返ってみたところ、何とちょうど10年前の6月17日に「フェアウェル・コンサート」を採り上げていたようで、(我ながら)その偶然に吃驚した。

ブレンデルのフェアウェル・コンサート(2008.12.14Live)を聴いて思ふ ブレンデルのフェアウェル・コンサート(2008.12.14Live)を聴いて思ふ

ウィーンは楽友協会大ホールでの記録。
愉悦のモーツァルトが、何だか悲しんでいるように今日の僕には聴こえた。
(第2楽章アンダンティーノの悲愴感!!)

・モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271「ジュナミ」(1777)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
サー・チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2008.12.18Live)

両端楽章の堂々たる風趣は、ブレンデルのラスト・コンサートに相応しいものだ。

なお、K.271はモーツァルトによって頻繁に演奏されたそうで、複数の自作カデンツァが残されている。中には父レオポルトや姉ナンネル作のものも含まれており、その内容は多彩だ。
ちなみに、モーツァルトは、第1楽章アレグロと第2楽章アンダンティーノのカデンツァ、そして終楽章ロンド(プレスト)の2つのアインガングを含むA, B2つのセットを残しており、独奏者はいずれかを選択できる。モーツァルトはAセットを自分用に保管し、Bセットをヴィクトワール・ジュナミに残したと考えられているようだが、ここでブレンデルは、1777年、モーツァルト自身がザルツブルクで書いたBセットを使用している。

2008年12月、60年間のステージ人生の幕を下ろすことを、私はかなり以前から計画していました。私は、新たな挑戦を楽しみにしながら、最後の公演を静かに待ち望んでいたのです。
予想通り、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートはオーストリア放送局によって録音されました。ハノーヴァーでの最後のリサイタルに関しては、当初はラジオ放送に抵抗がありましたが、急遽許可しました。喜びに溢れる結果がここに集約されていると思います。もしかしたら、私がまだまだ全力を尽くすことができ、洞察力に一層磨きをかけることができるであろう時期にコンサート活動を止めるのは間違いではなかった、ということをこの録音が証明してくれるかもしれません。モーツァルトのソナタK.533/494とK.271の緩徐楽章への私の長年の愛着が、遅ればせながら成果につながるなら嬉しい限りです。
リスナーの皆様に敬意を表し、温かい感謝を込めてお別れを申し上げます。

(アルフレート・ブレンデル)

本人のこの言葉どおり、K.271の素晴らしさ。
モーツァルトの音楽に、そしてブレンデルの演奏に感謝だ。

コメントを残す

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む