
僕たちの霊性は6万年来だそうだ。
つまり、肉体を持たない霊性は永遠であり、本性こそ真の私だということ。
この身の、この心の、この意識の私はあくまで仮の姿。
真我(霊性、すなわち命)と仮我(肉体と意識)の合一によって僕たちは生かされているが、それらの内なる葛藤こそが人間というものであり、僕たち誰しもの生れてきた意味と意義は、最終的に真我、すなわち霊性そのものをいかにとらえられるかだ。
久しぶりにカルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」を聴いた。
もはや繰り返し何十回と聴いてきたこの録音がますます新鮮に、そして愛おしく響く。
「トリスタンとイゾルデ」の他のどんな名演奏とも比較することなく(唯一無二)、心が、魂が震撼させられる逸品。





ドイツ・グラモフォンのプロデューサー、ハンス・ヒルシュはクライバーがバイロイトで経験を積んだあと、ぜひとも彼の指揮によるワーグナーのオペラのレコード録音を制作したいと考えた。ヒルシュの記憶によれば、バイロイト音楽祭でライヴ録音をするという可能性もあったが、クライバーが拒否した。普通は第3幕になると歌手たちの疲労がはっきりと見てとれるからだという。しかし、クライバーがこのスタジオ録音のために要求した条件に、ヒルシュは不安を覚えることになる。クライバーは一人の団員の交代もない状態のオーケストラと10回の練習を、そしてアンサンブル全体では少なくとも20回の録音セッションを望んだのである。クライバーは「心理的な説得力や信憑性を生み出すために、オペラの筋書きの順序通りに演奏する」ことにこだわった、とヒルシュは語る。プロデューサー、ヒルシュにとってそれは、およそ現実味のない条件だった。
~アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」(音楽之友社)P95-96



やはり無謀な要求からスタートしたセッションだが、周囲はヤキモキ、ヒヤヒヤの連続だったことが数々のエピソードからわかる。
緊張はいや増すばかりであった。団員たちの目には、クライバーが生死を賭けた戦いのさなかにいるように映ったこともあった。彼が前奏曲を完璧に一体となって演奏したいと望んだときは、楽員は10回も続けて演奏せねばならなかった。クライバーの自身への疑念はその名声にもかかわらず執拗に動いたが、同時期にミュンヘンで行われていたバーンスタインの《トリスタン》録音という競争相手への不安は、その録音セッションを数回のぞき見たことで、吹き飛んでしまう。
~同上書P102
バーンスタインのレコーディングも確かに素晴らしい。しかし、それぞれを比較して云々するものではなかろう。優劣なく、どちらも座右に置くべき録音だと思う。


クライバーのあまりのナイーヴさに周囲は困惑させられたようだ。
録音責任者ヴェルナー・マイヤーはこのことを次のように覚えていた。「彼はセッションのいちばんはじめに前奏曲を録音するやいなや、この録音から降りたいと言って、自分の楽屋に閉じこもり、どんなに言葉を掛けても意志は変わりませんでした。彼を楽屋からおびき出すために、トリックを用いねばなりませんでした」。
~同上書P103
ほとんど子どものような幼稚さが人間クライバーの欠点なのだが、周囲はそれを許した。誰もが何とか彼を指揮台に載せ、崇高なる音楽を再生してもらいという一心だった。
そして、多くの歌手たちがそのセッションがどれほど貴重で、幸せをもたらしてくれたかを後年語るのだ。
ブランゲーネを歌ったブリギッテ・ファスベンダーは、その場にいられたことを幸せだと感じた。ファスベンダーの回想。「このプロダクションの隅々までクライバーの意図と彼が持つ正確なイメージが浸透していました。彼の言葉を一言一句そのまま写し取ったようなものです」。
~同上書P106
ついにレコーディングが完了し、リリースに至った紆余曲折。そして、これがクライバー最後のセッション録音となった伝説。すべてが奇蹟のようだが、それにしても人間クライバーのわがままぶりに愕然とする。
すべては音楽を愛し、天才的な手法で瑞々しい音楽を生み出すのは指揮者クライバーの真我の成せるところかも。一方、キャンセル魔で少しのことに立腹するという側面は、常に怖れの中にある人間クライバーの小さな器によるものだろう。
その象徴が録音セッションの最後に起こったルネ・コロとのトラブルだ。
(詳細はここでは省くが)クライバーとコロは袂を分かった。これによりプロダクションは悲しい結末を迎えたかに見えたが、クライバーは最終的にこのセッションにチャンスを与えた。コロのパートのみ、ハノーファーのドイツ・グラモフォンのスタジオで録音され、オーケストラの録音と重ねられたのである。しかし、クライバーはこの方法にも難色を示し、発売の差し止めをしたが、ついに解除したのがかなり後になってからだった。
前奏曲から別次元。
指揮者カルロス・クライバーの真骨頂。
選ばれし歌手陣も健闘しており、どの瞬間を切り取っても、官能よりも清純な、情感よりも理性が優先された(フルトヴェングラーとは対極の)「トリスタン」だと僕は思う。
リッカルド・ムーティ―の言葉を思う。
稽古では、彼はまず細部を分析しながら、練習を進めてゆきます。それが本番になると、まるで音楽が予期せぬ泉から湧き出てくるかのような印象を生むのです。彼の即興に対する感覚は信じがたいほどのもので、ゆえに感興が乗ってくるや真の音楽の創造主となります。もちろん違いはありますが、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーによく似ています。彼の内面には、音楽のうちに自らを解放する大きな喜び、魂の欲求が息づいており、彼は指揮者としてその境地を完全に予期せぬ形で達成したのです」。
~同上書P141
なんと言い得て妙!
クライバーの、「指環」や「パルジファル」にまつわるエピソードが興味深い。
後年、ムーティがワーグナーの《ニーベルングの指環》をスカラ座で上演することになったとき、クライバーは彼の仕事に大きな興味を示した。ムーティはそれをうれしく思うとともに、相手が《神々の黄昏》をよく知っていることにとても驚いた。クライバーはすべての上演に立ち会った。ムーティは、クライバーが一目で見渡せるほどのレパートリーしか指揮しないにもかかわらず、《指環》全曲をも隅から隅まで知り尽くしており、《指環》の背景に関する膨大な知識もあると感じた。ムーティがマーラーやブルックナーの交響曲の一節を歌うと、クライバーはすぐに曲名を言い当てた。というのも、クライバーはそれらの交響曲についても熟知していたからである。ムーティが1991年、スカラ座で《パルジファル》を指揮した際、彼はクライバーに、本当は君にうってつけのオペラなのにと言った。これに対し、クライバーは「とんでもない。この息の長い作品を振るには、ぼくの腕は短過ぎるよ」と答えたという。
~同上書P141-142
何と!
カルロス・クライバーの「指環」や「パルジファル」を聴いてみたかった。
