
1952年12月7日から9日にかけてティタニア・パラストで行われたベルリン・フィルの定期演奏会。そのうち「エロイカ」については7日と8日の録音が残されている。

僕の記憶だと明らかに8日の演奏に分があるように思っていたのだが、40年近くぶりに日本フルトヴェングラー協会が頒布した12月7日演奏のレコードを聴いて、その素晴らしさにのけ反った。放送局蔵出し音源の素晴らしさなのか音質も生々しく、病み上がりのフルトヴェングラーの音楽解釈がますます深まっていることと、オーケストラをドライヴする技術が一層飛躍していると感じられる名演奏で、直前の(造形がほぼ相似形の)ウィーン・フィルとのセッション録音を凌駕する力とエネルギーに漲っている点に思わず惹き込まれてしまった。


カルラ・ヘッカーは書いている。
1931年3月にヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、一人の演奏会への出席者から、ベートーヴェンの作品の代りにむしろ他の作曲家の作品をプログラムに入れるよう—なぜならベートーヴェンの交響曲は、すでに「あまりに頻繁に」演奏されてしまっているからである—要請されたとき、彼は次のように答えたのであった。
「わたしは、ベートーヴェンが頻繁に演奏され過ぎるという意見はもっておりません。そうではなく余りに悪しく演奏され過ぎている、と考えるのです。さらにいえばわたしは躊躇なくこう言いたいのです。すなわち逆説的にきこえるかもしれませんが、ベートーヴェンはもっとも知られざる巨匠の一人であると私には思えるのです。」
カルラ・ヘッカー(高橋順一訳)
~FWJ-1ライナーノーツ
フルトヴェングラーがベートーヴェンを演奏する理由である。
そしてまた、彼のベートーヴェンが時空を超え、愛好家から求められる理由でもあろう。
巨匠のベートーヴェンには、現代の人々が失った何かがある。
あまりに普遍的な永遠不滅の何かが間違いなくある。
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(FWJ-1)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1952.12.7Live)
※自由ベルリン放送実況収録
ライヴならではの生命力。そして、老練の、まるでスタジオでの造形力をなぞるような緊密な構成と集中力。テンポの動きなどは明らかにセッション録音より凄まじく、しかもそれが度を越しておらず、極めて自然体の音像が眼前に聳えるのである。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオに関し、フルトヴェングラーの方法が最適だといつも思うのだが、この日の演奏は会心の出来だっただろう、音が四方八方に広がり、音圧は高く、まるでその日その場で聴いているような錯覚に襲われるほど感動的。
しかし、それ以上なのは第2楽章「葬送行進曲」。個人的にはフルトヴェングラーのベスト演奏だと思う。
ここではただフルトヴェングラーの「英雄」の解釈の性格的な特徴に言及するだけでよかろう。すなわちフルトヴェングラーが、どのように休止を、つまり全体のうちで黙している部分部分を生命力を以て満たしたかを、そして音楽の流れが、いわば休止を貫いて、分割しえない何ものかとして—最初の一拍から最後の一拍まで生きているものとして—流れていったかを、である。緩徐楽章である「葬送行進曲」において、こうした休止の意味が、ほとんど胸をしめつけるような在り方で以て明瞭なものとなる。わけても、この楽章の最後の何拍か、主題が響きやみ、くだけ散り、沈黙へ帰ってゆくところで、である。そのときの人は、悲劇が、最も偉大な悲嘆が沈黙のうちにあることを、それこそが深い苦悩の範型であることを悟るのである。
カルラ・ヘッカー(高橋順一訳)
~同上ライナーノーツ
沈黙という音楽の在り方を確かにここまで感じさせてくれる演奏は、数多のフルトヴェングラーの録音の中でも他に類を見ない。この楽章の成功から、おそらく気を良くしたフルトヴェングラーは興に乗り、第3楽章スケルツォ(アレグロ・ヴィヴァーチェ)を喜びの中で指揮し、そして終楽章アレグロ・モルトを、命がけの再現で堂々と駆け抜けたのである。
ちなみに、この日のプログラムは以下のとおり。
・ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
・ヒンデミット:交響曲「世界の調和」
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
おそらくラジオ放送があったのだろう、数日後、ヒンデミットに宛てたフルトヴェングラーの手紙が残されている。
ベルリンでいたしました貴殿の『世界の調和』の演奏、電報でお知らせいたしましたが、お聴きになれましたでしょうか。もしお聴きいただけたのでしたら、演奏には満足していただけたと存じます。この作品は、長く取り組めば取り組むほど、楽員にも、また別して私自身にも、それだけ大きな歓びを与えてくれるのでした。長い曲ですから聴衆には大変かも知れませんが、貴殿のこれまでの管弦楽曲中、最高傑作ではないでしょうか。当地でも明らかに成功でした。
(1952年12月11日付、パウル・ヒンデミット宛)
~フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P270
定期演奏会での充実ぶりが手紙からもうかがえる。




