クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「パルジファル」(1960Live)を聴いて思ふ

1960年のバイロイト音楽祭。
ハンス・クナッパーツブッシュの「パルジファル」は、第1幕前奏曲からそれまで過去のどの演奏にも感じられなかったさらなる透明感を獲得しているように僕には感じられる。少なくともこのときの指揮者は心身とも充実の最中にあったであろう。呼吸の深さは相変わらずであり、音楽の鷹揚さ、崇高な祈りの深さが、冒頭「聖餐の動機」から極まっており、一層の奥深さと、この後に続くドラマの神秘を見事に先取りするようで興味深い。

この世のものとは思えぬ第1幕の物語に付された清澄な音楽は、最晩年のリヒャルト・ワーグナーの頭の中にあった「再生」と「慈愛」とをこれ以上ないほどに美しく表す。
例えば、ヨーゼフ・グラインドル扮するグルネマンツの語りの場面における音楽のとろけるような意味深さ。登場人物の人間像が詳細に語られるこのシーンこそ「パルジファル」の最初のクライマックスであり、この長大な場面の地味でありながら深遠な音楽の力はクナッパーツブッシュの技量による。

グルネマンツ
お前たちは彼女(クンドリ)を養ってはいないし、彼女も決してお前たちを
煩わさない。彼女はお前たちとは何ら関係ない。
しかし危険が迫り、助けが必要になると、
彼女は夢中になって空中を疾駆する。
だがお前たちに感謝は要求しない。
もしこれを「害」だというのなら、
「害」はお前たちにとって得になろう。
井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P296

クンドリとは慈悲であり、また大自然の化身であり、呼吸そのものなのだと思う。それゆえに愛はあっても情けはない。クンドリをいわば擁護するグルネマンツの語りに付された荘厳な音楽の魔法。

クンドリ
私は決して助けない。
小姓4
彼女が自らああ言っている。
小姓3
もし彼女が災いを阻止できるほど誠実で果敢なら、
失われた槍を取り戻しに彼女を送り出せばいい!
グルネマンツ(陰鬱に)
それは別問題だ。
その槍には誰も触れてはならないのだ。
ああ、キリストの傷によって清められた不思議な槍よ!
私は、それが異教徒の手によって振り回されるのを見た!
豪胆無比のアムフォルタスよ、あなたがその槍で武装し、
あの魔術師を討伐に行くのを誰が阻止できただろう?
~同上書P297

聖槍は、もともとはティートレル王によって建てられた聖堂で護られていたが、この堂は汚れのない者しか仕えることを許されておらず、王に拒絶され、侮蔑されたクリングゾルがそれに腹を立て、謀反を起こし、ついに魔法に訴えその聖なる槍を奪ってしまった。

かつて野蛮な敵の策略や兵力から
この純粋なキリスト教信仰の国が脅かされた時、
ある非常に厳かな夜に
救世主からの聖なる使いとして、
救世主が最後の晩餐の際に用いられた
聖なる器、神聖で崇高な杯、救世主が十字架に架けられ
た際に流された血を受けた杯、
それに救世主の血を流させた槍が王に託されたのだ。
それらは救世主の遺物の中でも最高の奇跡の宝、
この最高の2つの宝を神は我が父王の保護下に置かれたのだ。
~同上書P298

この後の、聖愚者パルジファルの登場から場面転換の音楽までの流れの凄まじい集中力と圧倒的な音楽の喜び。堪らない。

・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
トーマス・ステュアート(アンフォルタス、バリトン)
デイヴィッド・ウォード(ティトゥレル、バス)
ヨーゼフ・グラインドル(グルネマンツ、バス)
ハンス・バイラー(パルジファル、テノール)
グスタフ・ナイトリンガー(クリングゾル、バス)
レジーヌ・クレスパン(クンドリ、ソプラノ)
ヴィルフリート・クルーク(第1の聖杯騎士、テノール)
テオ・アダム(第2の聖杯騎士、バス)
クラウディア・ヘルマン(4人の小姓、ソプラノ)
ルート・ヘッセ(4人の小姓、ソプラノ)
ハラルド・ノイキルヒ(4人の小姓、テノール)
ヘロルド・クラウス(4人の小姓、テノール)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(花の乙女たち、ソプラノ)
ルート・ヘッセ(花の乙女たち、ソプラノ)
ルート=マルグレート・ピュッツ(花の乙女たち、ソプラノ)
クラウディア・ヘルマン(花の乙女たち、ソプラノ)
エリザベート・ヴィッツマン(花の乙女たち、ソプラノ)
ドロテア・ジーベルト(花の乙女たち、ソプラノ)
ルート・ジーヴェルト(アルト・ソロ)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1960Live)

こうなると、俄然確かめたくなるのが第2幕のパルジファルの覚醒の場面と、第3幕「聖金曜日の奇蹟」のシーン。
この年の第2幕はもちろんのこと、何よりかけがえのないのが第3幕!!

パルジファル
そして今日私を聖杯の王として迎えていただこう!
グルネマンツ
このように私たちに約束されていました。
ですから貴殿の頭を祝福し、
貴殿を王としてお迎えいたします。
汚れなきお方!共に苦しむ心に溢れた寛大なお方!
救済の神秘についてご存じのお方!
救済されたアムフォルタスの苦しみを貴殿がともに被られたように、
最後の重荷を彼の頭上からお外しください!
~同上書P332

クナッパーツブッシュは、いつになく無我であり、無法であり、また夢中の世界にあるようだ。
クンドリが聖水でパルジファルの足を浄め、グルネマンツが彼の頭を濡らす。
鍵となるのが、何気なくも水であるところが美しい。

ソヴィエトの宇宙飛行士ガガーリンは、この水の星、生命の住む星が、しだいしだいに小さくなっていく姿を、崇高な思いで眺めたにちがいなかった。
けれども、べつに宇宙ほどの高みから眺めるのでなくとも、つまりは日本の足でぶらぶらと旅していても、ほんの少し水に心をとめて歩けば、風景というものがいままでとは違った姿で見えてくる。水とはそれほどにふしぎでかつ根源的である。
富山和子著「水の旅―日本再発見」(中央公論新社)P8

太陽も月も然り。ほんのすこし空に心をとめて歩けば、同じくふしぎで根源的であることがわかる。
ハンス・クナッパーツブッシュによる「パルジファル」の奇蹟はいつ聴いても素晴らしい。

 

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