トスカニーニ指揮NBC響 ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1949.11&12Live)ほか

トスカニーニはもともとチェロ弾きであり、彼の音楽家としてのキャリアはそこからスタートした。指揮者としての颯爽たるデビュー後も彼はしばしばチェロを演奏している。

若いその頃は、一旦リハーサル期間が終わって晩に上演を指揮するだけでよいとなると、しばしばトスカニーニはチェロを借り、オーケストラのヴァイオリニストとヴィオラ奏者を説得して午後一緒に弦楽四重奏曲を演奏した。その年ピサでのそういう集まりで、彼と他の3人の奏者は、トスカニーニが大好きなメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲変ホ長調(恐らく作品44-3(第5番))を始めから終りまで演奏した。それから、彼らはベートーヴェンの弦楽四重奏曲を読み通し始めることに決め、作品18-1(第1番)から開始した。トスカニーニは、この経験を「素晴らしいもの」と述べている。彼が全作曲家で最も偉大だと考えるようになったベートーヴェンに対する真の深い愛好は、その日に始まった。
ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(上)」(アルファベータブックス)P108

実に素晴らしい原体験だ。
少年の頃、僕はフルトヴェングラーにかぶれていた。
彼のベートーヴェンこそ唯一無二だと勘違いしていた時期もあった。
実に愚かである。
そこから随分の年月を経て、僕はトスカニーニのベートーヴェンの凄さに敬礼した。
もちろんトスカニーニに限らず、稀代の指揮者たちが演奏するベートーヴェンはいずれもが相応の原体験の中から生み出されたものであろうゆえ、悪いものがあるはずがない。あるのは、個々の価値観やセンスによる独断的判断だけだ。

ケルビーニ四重奏団のメンデルスゾーン作品44を聴いて思ふ ケルビーニ四重奏団のメンデルスゾーン作品44を聴いて思ふ

数種ある「英雄」の録音から1949年のカーネギー・ホールでの実況録音を聴いた。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭の2つの和音から度肝を抜かれた。各楽器の切れ味鋭い音は、聴く者の心を捉え、オーケストラの響きそのものが怒れるベートーヴェンを表すようで思わず釘付けになる。音楽の進行と共にトスカニーニは興に乗る。特に、再現部以降の「歌心」により感銘を受ける。
なるほど、巨匠のベートーヴェンには激烈な表現の奥底に常に「歌」があったのだ。それこそトスカニーニの若き日のヴェルディ・オペラの体験こそがその「歌心」の所以であることを理解したのは(お恥ずかしい限り)つい最近のことだ。

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1949.11.28&12.5Live)
・交響曲第1番ハ長調作品21(1951.12.21Live)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

第2楽章「葬送行進曲」(アダージョ・アッサイ)は、死者をも目覚めさせるような熱気とパワーを秘める。金管群の音圧と咆哮、打楽器群の意味深い強打、そして弦楽器群の優雅な歌に(ここでも感じられるトスカニーニの「歌心」!)、同時に生々しさを感じさせる音の良さに感涙だ。

第3楽章スケルツォは、何よりトリオの落ち着いた安定の響きが聴きどころ。そして、終楽章アレグロ・モルトは類稀なる推進力と「間(ま)」の力、あるいは緩やかなシーンでの夢見るような歌に止めを刺す。最高だ!

トスカニーニ指揮NBC響 ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1939.10.28Live)ほか トスカニーニ指揮NBC響(1953.12.6録音) フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1952.11.24-25録音) ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」ほか

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