イェナ指揮北ドイツ放送合唱団のブラームス「アヴェ・マリア」ほか(1981録音)を聴いて思ふ

brahms_choral_works_jena670ブラームスの音楽は哀しい。朗々と歌われる旋律の背後にある孤独。
そして、確固とした意志。ほとんど頑なともいって良いほど堅牢な旧式のスタイル。しかし、それゆえに自分らしさを刻印する革新。ブラームスの音楽は新しい。

ブラームスの喋り方はどこか無愛想で、ほそぼそとした感じであった。彼は話題を次から次へと広げていくようなタイプの人間ではなく、饒舌で、話をしながら自分で悦に入ってしまうようなタイプの人間と向かいあうときなどは、口をきくのも億劫そうに、しかも必要最低限のことしか話さないような印象を与えてしまうのであった。ブラームスの話すことは冷静で鋭く、常に要点をついていた。しかしそれ以上にブラームスは、言わなければならない重要なことさえも、語らないことがよくあった。こうしたことは、彼が自分自身のことを話さねばならなくなった時、ますます目立ってしまった。
(グスタフ・イェンナー「ブラームスとの日々」)
日本ブラームス協会編「ブラームスの『実像』―回想録、交遊録、探訪記にみる作曲家の素顔」(音楽之友社)P47

多くを語らないブラームスの音楽は滋味に溢れる。そして、残された作品はいずれも冷静で鋭い。中でも、「歌」の素晴らしさ。

ブラームスが歌曲について教えてくれるとき、最初にチェックするのは、歌詞に音楽の形式が、きちんと対応しているかどうかということだった。この点で失敗すると、こっぴどくやっつけられたものである。つまり芸術的なセンスのなさ、テキストの理解が浅いことが、哀れな結末に通ずるのであった。
~同上書P49

1858年に作曲された「アヴェ・マリア」はセンス満点の美しさ。いわゆる「歌曲」とは異なる聖なる合唱曲であるが、その音楽は受胎告知の聖母マリアへの感極まるあいさつ文と見事に一致する。

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。

何という優しさ、また崇高さ!ヨハネス・ブラームスの聖なる魂の発露!

ブラームス:合唱作品集
・無伴奏混声合唱のための「マリアの歌」作品22
・女声合唱とオルガンのための「アヴェ・マリア」作品12
・女声3部合唱とオルガンのための「詩篇第13」作品27
・無伴奏混声5部合唱のための「2つのモテット」作品29
・混声4部合唱とオルガンのための「宗教的な歌曲」作品30
・無伴奏女声合唱のための「3つの宗教的合唱曲」作品37
・無伴奏混声合唱のための「2つのモテット」作品74
・混声合唱、管楽器とティンパニのための「埋葬の歌」作品13
ゲルハルト・ディッケル(オルガン)
エディット・マティス(ソプラノ)
アン・マレイ(アルト)
北ドイツ放送合唱団
ギュンター・イェナ指揮北ドイツ放送交響楽団員(1981録音)

また、1856年の「宗教的な歌曲」作品30に反映される祈りの心情は、当時絶望的な状況にあった師ロベルト・シューマンに捧げられたものだろう。あるいはクララ・シューマンへの密かな愛情表現の形なのかもしれない。

誰でも悲しみにとどまってしまってはいけない。
神に従い静かにせよ。そうすれば満たされるであろう。
「作曲家別名曲解説ライブラリー7 ブラームス」(音楽之友社)P392

秋深まる夜更けに聖なるヨハネス・ブラームス。
気難しいブラームスの顔がほころぶ慈愛。この人は本当は優しい人だった。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


2 COMMENTS

雅之

私は詳しくないのですが、日曜日に教会に行くというクリスチャンの風習は、いつから始まったんでしょうね(今では欧米でもだいぶ廃れているようですが・・・)。

ブラームスも毎日曜日に欠かさず教会通いをしてたのでしょうか(一人で? あるいはクララと?)。

本文を読み、そんなことに思いを巡らしました。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
教会の日曜礼拝のことは僕も詳しくないですが、旧約聖書創世記の安息日によるらしいですから、古来そういうものなんでしょうね。信心深いクリスチャンはやっぱりきちんと通っているみたいですし。
機会ありましたら詳し人に今度聴いておきます。

ちなみに、ブラームスは宗教についてはどうかわかりませんが、信仰心は強かったのではないでしょうか。
リヒャルト・ホイベルガーの回想にこんな箇所があります。

ドヴォルジャークが熱狂的カトリック信者という話。最近ブラームスの書斎にやってきたドヴォルジャークは、トーデ著「聖フランチェスコ」を見つけ、即座にそれを借り出したそうだ。彼はそのとき、実に幸せそうな、しかも厳粛な面持ちだったという。「毎日聖書を読んでいます」と言うドヴォルジャークについてブラームスは、
「そりゃ当然さ。ドヴォルジャークほどの働きバチは、疑ったりする暇がないので、子供時代刷り込まれたことに一生従うのさ」
~「ブラームス回想録集②ブラームスは語る」(音楽之友社)P157-158

ある時は信仰篤く教会に通い、ある時は疑い深く距離を置く。
実際のところはどうかわかりませんが、いかにも面倒くさい男のように思います。(笑)

返信する

岡本 浩和 へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む