
トスカニーニが記憶を飛ばしたということで有名な最後のコンサートの記録。
事実はどうだったのかはわからないが、音源を聴く限りではとても立派な、よもや引退を決意するきっかけになったとは思えない精悍かつウェットな印象を醸す名演奏たちに感銘を受ける。
巨匠が少年の頃、最初に衝撃を受けたのは、歌劇「タンホイザー」序曲だったという。
「私が最初に受けたワーグナーの音楽の印象は、1878~79年に遡る。パルマの四重奏協会のコンサートで、《タンホイザー》序曲を聴いた時だ—私はびっくりした」と、トスカニーニは何年も後に書いている(その演奏が行われた時トスカニーニは11歳だった。65歳のワーグナーは当時、720キロ北のバイロイトにおり、《パルジファル》を創作中だった。「私の教師が序曲のチェロ・パート譜を学校に持って来て、私に様々な楽節を勉強させたが、当時の私には大変難しかった。1884年、パルマは《ローエングリン》のボローニャでの成功、ミラノでの失敗の後、それを最初に上演したイタリアの都市だった。私はオーケストラで演奏した。その時、私はワーグナーの天才の偉大で崇高な啓示を初めて受けた。最初のリハーサルで前奏曲は、最初の小節から魔法のようでこの世のものとも思われない印象を私に与えた—新しい世界を私に示した神々しく美しい和声によって。それは、ワーグナーの超自然的精神が見出すまで誰もその存在を夢にも思わなかった世界だった」。
~ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(上)」(アルファベータブックス)P48
11歳の時に受けた衝撃が、夢の中に蘇り、その刺激がそのまま音化されたような劇的表現。
とても87歳の老人が棒を振っていると思えない激しさと色気。
今もって大いに価値あるワーグナーだ。
ニューヨークはカーネギー・ホールでのラスト・コンサートの記録。
貴重な、試験的ステレオ録音(賛否両論だが、とにかく美しい!)。
何よりその生々しい響きに感激する。
おそらく聴衆は固唾を飲んで老巨匠の演奏を見守っていただろう。
危ういシーンも散見されるが、しかしそれ以上に崇高さが手に取るように見えるのだから凄い。人間トスカニーニの神業だ。

