ルービンシュタイン&メータ指揮イスラエル・フィルのブラームス協奏曲第1番(1976録音)を聴いて思ふ

「反ユダヤ主義」を標榜したワーグナーは、実はユダヤ人だったという説がある。それこそ、生粋のドイツ人であるブラームスにさえ本当はユダヤ人だったのではないかという(根拠の希薄な)説すらあるくらいだ。現代の日本人である僕たちには「ユダヤ性」にまつわる論争の可否自体が今一つピンとこないのだけれど、何より欧州においては避けることのできない重大な問題であったし、今でもおそらくそうだ。
「反ユダヤ主義との闘い」こそがアルノルト・シェーンベルクの本懐。

私は14年来、いま到来したことのための準備をしてきたのです。この長い年月のあいだ徹底的にその準備をすることができて、いまここに私を西洋に結びつけていたものから、苦しい思いをして幾度も動揺しながらもついに最終的に我が身を解き放ちました。私は久しい以前からユダヤ人であろうと決心していました。そこで、まだあの頃は詳しいことはなにもお話しできませんでしたが、ユダヤ国家主義の積極的な活動の道を示したある作品(「聖書の道」)のことを私がたびたび語るのを貴君もお聞きになったことでしょう。そしていま私は1週間前から実際に正式にユダヤ教団へ帰ってきたのです。
(1933年8月4日付シェーンベルクのアントン・ヴェーベルン宛手紙)
石田一志著「シェーンベルクの旅路」(春秋社)P386-387

「ユダヤ」というキーワードを軸に、シェーンベルク作品に限らず音楽史をひも解いていくことはおそらくとても意味深い。いや、音楽に限らず歴史を「ユダヤ」という概念で斬ってみていくことで、様々な不可解な事象の理由が容易く融解する可能性が高いだろう。シェーンベルクをして、あの恐るべき時代に再び改宗を決断させたその力の源は一体何なのだろう?偶像崇拝を厳禁するユダヤの教えに奥義がもしあるとするなら、それは何と興味深いことか。

私が12歳で、ベルリンでハインリッヒ・バルト教授についてピアノを学んでいたとき、私はブラームスの《ニ短調ピアノ協奏曲》にほれこんだのでした。この協奏曲はたしかに私がブラームスに感じていた強い情熱のクライマックスでした。バルトは私が若すぎてこの巨大な作品のもっている意味を充分把握することはできないと思っていたけれども、私は自力で勉強したのち、ヨーゼフ・ヨアヒムに何個所か聴いてもらったところ、とても嬉しかったことには、ヨアヒムは私の着想を認めてくれたのです。この傑作の誇り高いオーナーであるヨアヒムは、ブラームス自身から、テンポやダイナミックスのほか、数多くの貴重な細部に至るまで、この上もなく価値のある見解を教示されていたのですが、彼は親切にもそのすべてを私に伝授してくれました。
~アルトゥール・ルービンシュタイン1977年/三浦淳史訳)

いわばブラームスの直系。
堂々たるその響きは、89歳のピアニストの演奏とは思えぬ若々しさ。しかし、この老練の音楽には何という説得力があるのだろう。

・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団(1976.4.6-7録音)

総計50分余りに及ぶ浪漫。
第1楽章マエストーソ冒頭の重厚なオーケストラの響きこそブラームスの神髄。また、数分後、そこに絡むピアノの繊細な調べの絶妙な美しさ。そして、夢心地の第2楽章アダージョにある儚さは、老ピアニストが成し遂げた最後の奇蹟。さらに・・・、踊り、爆発する終楽章ロンドは、「我が身を解き放つ」ブラームスの希望の証。

ところで、1936年に創設されたパレスチナ管弦楽団は、1948年、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と改称した。彼らは今もワーグナー作品を事実上タブー視する。

 

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