先日、久しぶりにアンネ=ゾフィー・ムターの実演を聴いて思った。
彼女は、年齢を重ねて、のりしろのある一層自由な表現を獲得した。そうなると、古典を演るより現代曲やポピュラーのイディオム濃い作品の方が一層の親和性があるのかも。
カラヤンの秘蔵っ子としてデビューした当初のムターの音楽は、今とは少し違っていた。巨匠の生み出す音楽に包まれつつ、それに応えるためにアイデンティティをできるだけ引込め、どちらかというと作曲家や指揮者に寄り添い、作品の使徒の如く奉仕した印象。それゆえか一層音は豊かで潤いがあった。
おそらく最初に耳にしたのは1980年頃、FM放送でのブラームスだったか、メンデルスゾーンだったか。その咽るような濃厚なヴィブラートに僕は一目(一聴?)で恋をした。
その後、ベートーヴェンなどレコードを購入して擦り切れるほど聴いた。
そうして、初めてその生の姿に触れたのが、1982年のフェスティバルホール。大阪国際フェスティバルでのモーツァルトのK.219とブラームスの協奏曲(外山雄三指揮大阪フィル)だった。素晴らしかった。素敵だった。今でも忘れない。
師カラヤンが亡くなり、いよいよ自立を余儀なくされ、彼女は少しずつ自分本来の音楽というものを獲得していったわけだが、おそらく過渡期だったのか、特に1990年代の演奏は何だかいまひとつのように僕には思われた。
ところで、今年の来日公演ではブラームスの協奏曲がプログラムに入っていた。
残念ながら僕は聴けなかったのだが、果たしてどんな演奏だったのだろう?
ちなみに、カラヤン指揮ベルリン・フィルとの最初の録音は音楽しか感じさせない、色彩豊かで美しいブラームスだった。あの音盤はおそらく今も一、二を争う名演奏だと僕は思うが、マズア指揮ニューヨーク・フィルとの再録音盤は、何だか中途半端な様子で、どうにも惹かれなかった。それは、指揮者の問題もあるのだろうが、ムター自身の音も生気を失ったもので、正直迷いがあるように僕には思えた。
・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
・シューマン:ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲ハ長調作品131(クライスラー編曲)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
クルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルハーモニック(1997.7Live)
1995年に亡くなったムターの最初の夫であるデトレフ・ヴンダーリヒ博士の思い出に捧げられた録音。
20年近くぶりに聴いた。最初に聴いた当時、その沈み込んだ虚ろな印象に幻滅した意味があらためてわかったように思った。過去を回想し、懐かしむムターの、そして、悲しみ癒えぬムターの心情が縦横に溢れるブラームスはモノクロだったのだ。
相変わらずヴィブラート激しく、カラヤンのときにはなかった強烈なポルタメントが印象的。ヨーゼフ・ヨアヒム作のカデンツァが泣く。
ここであえて柴田南雄さんの論を引いておく。
ですから、普通の若い母親に育てられた経験をブラームスは持っていないわけです。ブラームスは子供っぽい無邪気な遊びなんか、しなかったのではないかしら。一生結婚しなかったことや、14歳年上のクララ・シューマンに対する淡い恋愛のような感じも、この一種のマザー・コンプレックスから来ているんじゃないでしょうかね。このことと、ブラームスにいわゆる若書きがなくて、初めから爺さんくさい音楽を書いたこととはもちろん直接に関係があると思います。とにかく音楽史上こういう人はいないですよ。
~「レコード芸術」1983年5月号P181-182
「爺さんくさい音楽」というのが言い得て妙。
そういえばムターもファザー・コンプレックスがありそうだから、ブラームスとの相性はやっぱり良いのかも。
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月並みな決め付けはしたくはないのですが、いつ考えても、マザコンのブラームスとロリコンのブルックナーという対比なんかは面白いですよね。
デビュー当時のムターはブルックナー好みのかわいらしい女の子で、現在のムターはブラームスが憧れるような素敵な熟女に変貌しているのではないか?などと想像するのも一興です。
>雅之様
人間の性癖って面白いですよね。
しかし、音楽そのものにそういう後天的要素が反映されているかといえば、それはあまり感じられないので、やっぱり音楽というのは作曲家が媒介(パイプ)になって天の声を形にしているようなものなんでしょうかね。