「慟哭」のヘンデル、シューマン、そしてワーグナー

handel_schumann_wagner_furtwangler_bpo.jpg第二次世界大戦中のフルトヴェングラーの録音は、いずれも当時の「空気」を鮮明に捉えており、一つ残らず掛け替えのない価値をもつ宝だと、ここのところ一層感じる。直接的で、希望に満ち、そして前のめりで途轍もない勢いがあり、しかも精神的にも「神憑り」的境地に達している。そのことは古い録音から容易に読み取れる。

・ヘンデル:合奏協奏曲ニ短調作品6-10(1944.2.7Live)
・シューマン:チェロ協奏曲イ短調作品129(1942.10.25Live)
・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死(1942.11.8Live)
ティボル・デ・マヒュラ(チェロ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ヘンデルのこれ以上ないロマンティックな表現は、ピリオド・スタイル隆盛の現代ではいかにも時代遅れの様相を呈するが、何の何の、一聴、心を鷲掴みにされる。第3楽章エアーの沈み込むような、まるで当時の人間同士の無意味な戦いを嘆き悲しむかのような音楽は、フルトヴェングラーゆえに為し得た涙なくしては聴けないヨーロッパへの哀歌ともとれる。
シューマンのコンチェルトについても同様。この晩年の名作が、マヒュラというベルリン・フィルの主席を独奏者に据え、フルトヴェングラーの揺らめく棒を得て、異様なテンションで奏される様は、そうはいってもまだまだ故国ドイツが優勢にあった時代にあり、勇猛で果敢な印象を与えるのは気のせいか。そして、慟哭の「トリスタン~前奏曲と愛の死」!

三島が監督・主演した「憂國」に使われたストコフスキーの演奏以上に、「憂國」に相応しい録音。これほどまでに来るべき敗北を予想するかのように故国を憂える音楽があったろうか(当時のフルトヴェングラーの精神状態は一喜一憂だったことがこれらの録音を聴いて伝わってくるよう)。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら『日本』はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代わりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでも
いいと思つてゐる人たちと私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」

これは、自決の数ヶ月前、三島由紀夫が書いたエッセーの中の有名な一文である。40年後の今を言い当てている、まるで予言のような言葉。ただし、文脈の前後を検証しないままこの部分だけにスポットライトを当てたところでその是非は云々できまい(ただし、少なくとも僕たちが生きている日本が「ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない」国であることは間違いない)。そう、平和な時代に生まれ育った僕らに、かつて戦中・戦前に青春を送った我々の祖父母世代、そう三島由紀夫の気持ちなど真の意味では理解できようはずがない。

先日の「恋物語」の反響がよろしく、お陰さまで次回の「早わかりクラシック音楽講座」は残席1名になりました(定員10名のところ12名に増員しました)。参加ご希望の方はお早めにこちらよりお申し込みください。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
極東の政治情勢が、不穏な空気に包まれてきました。
我が国でも、米軍基地のある地域では、異様な緊張感に包まれつつあるようです。こんな時期に岡本さんのブログ本文を読むと、前にも岡本さんが採り上げられ、コメント欄でも話題にしたことがある、あの有名なエピソードを、またもや、どうしても思い浮かべてしまいます。
・・・・・・ジークフリート・ワーグナーの死後、相性が合わなかった未亡人のヴィニフレートがナチスに接近すると、トスカニーニは「全てが変わらん限り私は帰らない!」と叫んでバイロイト音楽祭から身を引いた。さらに1937年、ザルツブルクの路上でフルトヴェングラーと会い口論となった。両者は前年のニューヨーク・フィルの引き継ぎをめぐって感情のしこりがあったが、フルトヴェングラーがドイツに留まっていることに対し、トスカニーニは彼がヒトラーの言いなりであると解釈しており、双方は険悪な関係となっていた。「あなたはナチだから出ていけ!自由な国と奴隷化された国の双方では指揮する資格はない」、「あなたにまかせるなら出て行きます。でも音楽家にとって自由な国も奴隷化された国もない。演奏するのがたまたまヒトラーの国といって、ヒトラーの部下とは限らない。偉大な音楽こそナチスの敵ではないですか!」、「第三帝国で指揮する者は全てナチスだ!」といった内容で喧嘩別れした。以後、二人が会うことはなかったといわれる。・・・・・・ウィキペディア 「アルトゥーロ・トスカニーニ」の項より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8B
そして、賛否両論半ばだった、マゼール&ニューヨーク・フィルの2008年2月26日・北朝鮮公演のことも・・・。
http://www.hmv.co.jp/news/article/810030190/
音楽は政治利用されるだけで、本当に平和には「無力」なのでしょうか?
かつての三島が唱えたような、母国を憂う発言は、いつの時代でも貴重です。客観的状況を見て見ないふりをする「日本の未来は明るい」みたいなポジティブ一辺倒な論調だけになっては、この国は滅びます。それでは「大本営発表」や「北朝鮮のテレビ報道」と何ら変わりませんから・・・。戦況判断を楽観視して誤り、軍部の独走を許し日本を敗戦に追いやった苦い失敗の経験を、日本人は忘れてはならないと思います。
ですから、「景気の悪いニュースは採り上げるな」といった一部のマスコミ批判の風潮にも、私は大反対です。現在の我が国は、三島が予言した「或る経済的大国」としてもすでに一流ではなくなりつつあるのが、客観的事実だからです。それを隠蔽しようとする情報統制の動きはとても危険です。客観的事実を冷静に分析したうえでの建設的意見こそが、真に重要だと考えます。
誰よりも国と国民を愛するからこそ、国と国民を憂うのです。フルトヴェングラーや三島ほどではないでしょうが・・・。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
いろいろと考えさせられる時代ですね。
>客観的状況を見て見ないふりをする「日本の未来は明るい」みたいなポジティブ一辺倒な論調だけになっては、この国は滅びます。
>客観的事実を冷静に分析したうえでの建設的意見こそが、真に重要
同感です。戦時中の緊迫する中で、あくまで自身のポリシーに拘ったフルトヴェングラーも、その是非はともかくとして自身の信念を貫いた三島のような生き方は本当にかっこいいですよね。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください