バックハウス・ハイドン・リサイタル(1958.5録音)ほかを聴いて思ふ

たった一つ、間違いなく言えることは、ヨーゼフ・ハイドンは選りすぐりの、優秀なサラリーマンであったということ。
エステルハージ家に仕えていた頃のハイドンの作品には数多の革新があり、同時に、豊かな旋律を持ち、現代の僕たちの耳をも飽きさせない工夫がある。それは、聴く者の立場を考慮した(そうは言っても侯爵は素人ゆえ)謙虚さの証しであるように僕は思う。そして、(エステルハージ家の)楽団が解散されて以降の、つまり自由を獲得してからの彼の飛翔の度合いは、モーツァルトが父レオポルトの死を契機に得た自由とまるで相似で、そこには時間を感じさせない永遠と、無限の広がりがある。
もう一つ、間違いなく言えることは、ヨーゼフ・ハイドンは、才能豊かな挑戦的な音楽家であったということ。

そういえばハイドンは、短い期間ながら、ベートーヴェンの師であった。ハイドンは、ベートーヴェンに教えるものはないと判断したのだろうか(否、単に時間がなかっただけ)。一方、ベートーヴェンもハイドンからは学ぶことはもはやないのだと悟ったのだろうか(否、単にタイミングが悪かっただけ)。外面は異なれど、彼らの作品に通底する精神は、志向は同じだったのかもしれない。

常識的なようで決してそうではないもの。
(逆のように見えるかもしれないが)正確さよりも自由を、意志の強さの追究を試みた演奏が、ヴィルヘルム・バックハウスのベートーヴェンであり、またハイドンであった。そこには歌がないようで十分にあり、厳格な規律あるようで何もなかった。

バックハウス・ハイドン・リサイタル
ハイドン:
・ピアノ・ソナタ第52番変ホ長調Hob.XVI:52
・ピアノ・ソナタ第48番ハ長調Hob.XVI:48
・幻想曲ハ長調Hob.XVII:4
・アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニヘ短調HobXVII:6
・ピアノ・ソナタ第34番ホ短調Hob.XVI:34
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)(1958.5録音)

バックハウスの、ベートーヴェンに対する愛とまるで共通の愛。
汲めども尽きぬ泉の如くの愛の奔流。どこかで僕は同じような熱を体験していたのでなかったか。いぶし銀の、純ドイツ風の響きは、一種保守的な印象を拭いされないものの、その安定感から生じる温かさと優しさは彼らならでは。
アマデウス四重奏団。
中でも、ヨハン・トストによって委嘱され、1790年に作曲された四重奏曲集。

ハイドン:
・弦楽四重奏曲第66番ト長調作品64-4/Hob.III:66(1973.3録音)
・弦楽四重奏曲第63番ニ長調作品64-5/Hob.III:63「ひばり」(1974.3録音)
・弦楽四重奏曲第64番変ホ長調作品64-6/Hob.III:64(1974.3録音)
アマデウス四重奏団
ノーバート・ブレイニン(第1ヴァイオリン)
ジークムント・ニッセル(第2ヴァイオリン)
ペーター・シドロフ(ヴィオラ)
マーティン・ロヴェット(チェロ)

どの音楽にも宿る生命力。解放された喜びというのは大袈裟か。
「ひばり」第2楽章アダージョ・カンタービレの内省的な静けさは、自身の心の安寧の拠り所となるオアシスのよう。あるいは四重奏曲変ホ長調第1楽章アレグロの瑞々しい官能。

「世の喝采」
愛を知ってから さらに美しい生にひたされ
私の心は浄らかになったのではないか? どうして君らは
心たかぶり荒々しく 口数多くうつろだった
昔の私の方がよいと思うのか?

ああ! 世の人が好むのは 市にひさがれるものばかり
下僕が敬うのは あらけない力に満ちたものばかり。
神の力を信ずるのは
おのがうちに神を宿した者のみだ。
川村二郎訳「ヘルダーリン詩集」(岩波文庫)P26

アマデウス四重奏団の音には、間違いなく愛の熱がある。
すなわちそこには神が宿るのだ。

 

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