フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ブラームス 交響曲第3番ヘ長調作品90(1954.4.27Live)ほか

シェーンベルクの提唱した十二音音楽については概ね否定的だったフルトヴェングラー。
晩年の書簡類をひもとくと、その背景にある巨匠の考え方がよくわかる。

クシェネックの著書、お手紙のなかでなにも触れられてはおりませんが、説明がきわめて適確で充分考えて書かれたものにまちがいなく、この点ルーファーの本よりもはるかに勝っております。しかし、いずれの本を読んでも明らかなことは—お手紙のなかの詳しいご説明によっても結論できることですが—十二音音楽を作る努力はすべて、それがいかに知的で考えぬかれたものであるにせよ、試験管の真空の中で行なわれる実験にも比すべきものだということです。これらの努力が妥協を許さぬ誠実なものであることは充分に評価しますが、人間が—とは、とりもなおさず、現実の全き感性を有する生命はということにもなりますが—この世に生存するのは、ただたんに妥協を知らぬ誠実さだけのためではないと私は思うのです。
(1952年11月21日付、フレート・ゴルトベック宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P268

単なる実験精神に基づく、頭脳音楽なのだと言いたかったのだろうか。
しかし、それから70余年を経た現代では、シェーンベルクの方法が決して間違っていなかったことは明らかだ。(少なくとも感性に訴えかけるものはあるのだから)

そして、半年後の、同じくゴルトベックに宛てた手紙には次のようにある。

しかし、音楽そのものはどうでしょう? ストラヴィンスキーもバルトークもそれぞれ晩年になってから、概してより古典的に、言うまでもないことながら、より調性を重んじる作曲家になりはしなかったでしょうか? そしてこれは、ヒンデミットにもそのまま当てはまるのではないでしょうか? シェーンベルクでさえも、いわば理論の正しさを証明するものと考えられる十二音技法の作曲の他に、晩年にはやはり、純粋に調性的な音楽を書かなかったでしょうか? 例はまだ他にもあります。ヨハネス・ブラームスのような純粋に調性的な作曲家たちが、存命中は取るに足らぬ反動として片づけられるのが常でしたのに、その後不思議なほどだれからも高い評価を受けるようになりはしなかったでしょうか? まだ覚えていますが、15年前までは、フランスやイタリアでブラームスの話をすると、妙に同情的に肩をすぼめるのが常でした。今日では、事情はすっかり変わっています。とすると、根本問題はこういうことになります。これをごまかしてはなりませんし、また避けて通ることもできません。すなわち、このわれわれの時代の個々ばらばらの一握りの人たちしか自分たちの音楽と呼びえず、現代に生きている人間からはまったく隔絶していて、それに近づくべくどんなに努力をしても、結局40年間耳になじまない音楽、そういう音楽というものがいったい考えられるでしょうか。われわれの時代の音楽として、おのれの存在を主張しうるでしょうか。とにかく、これらの重大問題に、いま私は解答を与えようと思いません。そんなことはあまりにも不遜で、無鉄砲な話です。こうした問題には、とうてい音楽だけに限定されない無限に多くの事柄が絡み合っているのですから。音楽は人間の表現以外のなにものでもありません。ですから、そもそもの問いは次のようでなければなりません。音楽によって自分を語ろうという情熱と能力を、未来の人間もまだ持っているだろうか、と。しかし、さしあたってたいせつなのは、状況をありのままに認識すること、虚心坦懐な態度をもって、われわれの音楽生活がおかれている危機的状況を正視して、その危機を危機として受け取ることだと思います。
(1953年5月6日付、フレート・ゴルトベック宛)
~同上書P277-278

保守フルトヴェングラーの真面目。
諸行無常であること。
そして、世界に不要なものは存在しないという事実。
危機的状況という判断はあくまで人為によるものだ。
人智を超えた天の按配が何処にもあろう。
まして最高芸術たる音楽ならばその要素は大いにある。

フルトヴェングラー最後の年のヨハネス・ブラームス。
1949年の、あまりに劇的かつ浪漫的解釈の演奏とはうって変わり、何と静謐なブラームスであろうか。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ブラームス 交響曲第3番(1949.12.18Live)

もちろん外面的要素という点ではブラームスの激しい側面は表現されている。
しかし、指揮者自身の心中が静かなのだ。
まるで聴衆を前にしない、スタジオでのセッションであるかのように音楽は中庸を保つ。

・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(1954.4.27Live)
・シューベルト:交響曲第8番ロ短調D759「未完成」(1952.2.10Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

いずれもティタニア・パラストでのライヴ録音。
大病を経て、いよいよ最晩年の、老境に到達したフルトヴェングラーの心情吐露などという表現は相応しくなかろう。日々、コンサート活動や作曲に明け暮れ、少なくともこの時点で彼には希望があった。

コンサートにおいでくださったうえ、お葉書どうもありがとうございました。ほんの短い時間でしたが、会場で握手を交わしえたことは、私にとってたいそう嬉しいことでした。
ロンドンのオーケストラはやはり立派なもので、いっしょに仕事をしてもけっこう愉しく、好感がもてるというものです。もちろん、来年はベルリン・フィルといっしょにアメリカへも行かなくてはなりません。

(1954年4月22日付、アンナ・ガイスマル宛)
~同上書P297

そしてまた、同年6月のヘッセ宛の手紙には次のようにある。

お手紙をちょうだいし、このうえない幸せと存じております。私どものコンサートにご来駕いただけるかも知れないと考えて、演奏旅行でふだんしばしば演奏しておりましたブラームスの名をプログラムからはずしましたことは、当然の措置でございます。
(1954年6月5日付、ヘルマン・ヘッセ宛)
~同上書P298

ブラームス嫌いだったヘッセに忖度してフルトヴェングラーはプログラムをベートーヴェンにわざわざ変更したのである。
こんなブラームスを聴けるなら、好まなくとも聴けば良いのにと僕は思う。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのシューベルト「未完成」交響曲(1952.2.10Live)を聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのシューベルト「未完成」交響曲(1952.2.10Live)を聴いて思ふ 定力(じょうりき) 定力(じょうりき)

2 COMMENTS

タカオカタクヤ

岡本浩和さま
この演奏は日ポリドールからМG6003の番号で出たLPは買いそびれ、初めて聴きましたのはDGの輸入盤の『Dokumente』シリーズのCD(併収録が1952年2月10日演奏のシューベルト『未完成』)でありました。1949年12月18日収録の旧盤は、東芝EMIのブラック・ディスク(LP盤へのこの呼び方は、もう死語でしょうか…)で購入していましたので、そのせいかも知れません。
この二つの演奏の相違につきまして、岡本さまが的確に述べておいでですので、改めて付け加える事は、ございません。
ただ、1949年盤は楽譜に盛り込むドラマティックな感興が、いくぶん恣意的と言うか強引なところも見られ、フルトヴェングラーとしては、この曲の真の完成の域には達していなかった…との感も、ございます。

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岡本 浩和

>タカオカタクヤ様
僕の場合は同じくMG6003が最初の出会いでした。
しかしながら、そのLPは30年ほど前に処分してしまい、手元にございません。
(今となっては痛恨の極みです)

>1949年盤は楽譜に盛り込むドラマティックな感興が、いくぶん恣意的と言うか強引なところも見られ

なるほど、そういう見方もあるのですね。
僕はむしろ音楽にのめり込んで、我を忘れるフルトヴェングラーの真骨頂があそこにあるのだという見解一辺倒でした。確かに「恣意的」といわれればそれも言い得て妙ですね。
勉強になります。
ありがとうございます。

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