ミケランジェリ ガーベン モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(2台ピアノによるリハーサル)(1989録音)

ミケランジェリの、コード・ガーベンとのモーツァルト共演には興味深いエピソードがたくさんある。実際、彼らのリハーサルのあるシーンを覗いてみると、言葉通りの発見の他に、様々な音楽的発見がある。ミケランジェリはあくまでミケランジェリであり、目の前に対峙するのがモーツァルトであろうと何であろうと関係ない孤高の存在なのだ。

リハーサル中のABMを知る者、彼の感動が表出し、大きな声で一緒に歌い、他の人たちが「間違ったことをする」ときの怒りなどを体験した者は、なぜ彼がこれらの協奏曲を特に心に留めたかを理解した。その際、いわゆる真性の演奏に関する考察が前面に出るわけではなかった。今日、モーツァルトはどのように演奏「される」べきなのかという問題は、ABMには関係なかった。これらの作品に対する彼の愛情(「夢中になって弾くか、そうでなければまったく弾けない作品だ」)と、正しい音楽言語を目指す努力が、部分的に不慣れな結果につながるのであった。
コード・ガーベン著/蔵原順子訳「ミケランジェリ ある天才との綱渡り」(アルファベータ)P179

ミケランジェリとガーベンとの2台のピアノによるリハーサルの様子が残されているが、何を話しているのか定かでないにせよ、いちいち音楽を止めながら大事な何かついて語るであろう貴重な録音の存在にそもそも僕は感動するのだ。

我々の共通のモーツァルト体験は、《前奏曲集》の録音が終了してから始まった。全員が帰ろうとする最中、彼はピアノをその場に置いておくように命じた。こうして、技術チームも待機し、あらゆる突発的な出来事に備えた。
休憩の後、彼は新鮮な気分で、2台の楽器のうち左側のピアノの前に座ると、リラックスして、ほとんど陽気にニ短調協奏曲を弾き始めた。数時間前にテレビ制作の完全なキャンセルの原因、あるいは言い訳になっていた左目のまぶたの小さな異変は、いつのまにか何でもなくなっていた。

~同上書P180-181

ミケランジェリ ドビュッシー 前奏曲集第2巻(1988.8.17録音)ほか

何でもない些細な出来事の中にある奇蹟。
当然ミケランジェリが主導権を握るリハーサルでの、巨匠の大きな声で歌う様子は確かに陽気だ。

モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(2台ピアノでのリハーサル)
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
コード・ガーベン(ピアノ)(1989録音)

手探りで、丁寧に音楽を紡ぎ上げていく、そんなスタイルのリハーサルに、伴奏を任せられた指揮者の大変さを思う。20分近くに及ぶ2台のピアノでのリハーサル風景から、ガーベンの伴奏パートはあくまで伴奏に徹していることがわかる。
(もちろんピアニストを試すような冒険はしていない)
(それもこれもピアニストを刺激せず、真っ当なレコードとして世に送り出すためだ)

ミケランジェリ ガーベン指揮NDR北ドイツ放送響 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466ほか(1989.6Live)

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