
コード・ガーベンが著したミケランジェリの評伝は、天才の偏屈さが見事に暴露されており、とても面白い。そして、文字通り「ある天才との綱渡り」というサブタイトルにある「綱渡り」という表現が言い得て妙だ。
(グレン・グールドやカルロス・クライバー同様にここまでなると天才というより変人というべきだろう)
それでも人は彼らの芸術を求める。そういう僕もだ。
(人間性などどうでも良い。そんなものを超えた何かがそこにはある)
ゆえあってコード・ガーベンが伴奏を受け持ったモーツァルトの協奏曲集第2弾。
小さな協奏曲が、大協奏曲に変貌する、そんな奇蹟がそこにはある。
もともとこれらの録音はスタジオで制作されることになっていた。
その1年後の2回目のコンサートシリーズでは、事態はかなり好転した。ベネディッティ・ミケランジェリはふたたび力を取り戻していた。また、彼は服装も変えた。このときの舞台では、燕尾服ではなく、ダークスーツと素敵なタートルネックのセーターで登場した。指揮者もまた、コンサートを重ねるうちに自信をつけてきた。休憩中の雰囲気はリラックスしていて、ときには楽屋には行かずに廊下で冗談を言い合うほどだった。
~コード・ガーベン著/蔵原順子訳「ミケランジェリ ある天才との綱渡り」(アルファベータ)P175
打ち解けた中にも、いつ何時爆発するか知れないピアニストに指揮者は相当気を遣っていたことだろう。そんな中、ガーベンは冒険をした。
ハンブルクでは小さな諍いが起こった。私はKV415の第1楽章を比較的速く始めた。それは、キールでABMの幅広くなりがちな傾向にいらだっていたからだ。コンサートでは彼も合わせざるを得ない—そして私は望み通りのテンポで維持できる。実際、第1楽章の冒頭で彼は私のテンポに従った。休憩に入り、舞台を去り、聴衆の目の届かないところに来るやいなや、彼はまるでさくらんぼを取った息子を見つけた父親のように、人差し指を上げて私を脅した。私もやはり良心の呵責を感じたが、それもCDの編集をするまでのことであった。ブレーメンではスタジオ規模の条件の下で、すでにCDが制作されていた。ハンブルクのコンサートの録音は、安全のためのもので、特に目的があるわけではなかった。ところが最終的に2つの録音の評価をする段階で、ABMはその場での内発的なライヴ録音の方を選び、ブレーメンの「鐘」で録音した息を呑むほど完璧な演奏を拒否したのである。KV415の冒頭のテンポに関しては、私は名誉を回復されたような気分になった。
~同上書P176
ミケランジェリがライヴの方を選んだのには彼にしかわからない理由があろう。
恐らく説得力のあるものではなく、彼の天邪鬼さが出た結果なのかもしれないが、それでもガーベンが言うように、彼が第1楽章の冒頭で取ったテンポについて、公に認めないながら本人はそのテンポが相応しいと思った結果なのだろうと想像する。
あるいは、スタジオでの一方通行のものより、聴衆との駆け引き、同時に会場の空気感を重視した結果としての選択だったのだろうと思う。
(それにしてもブレーメンでの録音が残っているのならぜひとも聴いてみたいものだ)
ウィーンに上陸したモーツァルトの、自身の予約演奏会のための協奏曲は、そのジャンルの革新的作品の宝庫であり、その劈頭を飾るハ長調の室内協奏曲が、巨大な音楽へと変貌している点が見逃せない。
ライヴ録音ならではの瑕などこの際どうでも良い。
興に乗るミケランジェリの心情が刻まれるモーツァルトの勢いに感動する。
例えば、緩徐楽章などは、ピアニストの沈思黙考の清廉なる思いが刻み込まれ、本当に美しい。(音楽に没頭している最中の集中力はやっぱり並大抵でない)
