
フルトヴェングラー時代の響きが残されたベルリン・フィルとの伝説的な交響曲全集を録音したのはアンドレ・クリュイタンスだった。確かに、どちらかというと暗めの音響を特長とするオーケストラが不思議に明朗さを発揮する。もちろんそれは指揮者の体質によるものだろうと思う。
ディラン・トマスは宇宙の涯てを見てきたのだろうか?
前時代の、時代遅れの宇宙の涯てを。
初めに、燃えさかる火があって
火花で気象を燃え上がらせた、
花のようにどんよりした、三つ眼で赤い眼の火花で。
生命はうねる海から浮かんでほとばしり、
根本ではち切れ、土と岩から
草を萌えさせる秘密の油を吸い上げた。
初めに言葉があった、
光の強固な基盤から
虚空のすべての文字を抽象した言葉が—
すると呼吸のぼやけた基盤から
言葉が湧き溢れ、誕生と死の
最初の記号を心に伝えた。
~松田幸雄訳「ディラン・トマス全詩集」(青土社)P60
「初めに」と題する詩は、まるでそれまでのすべてを知覚したかのような詩だ。
そしてまた、過去の栄光のようなクリュイタンスのベートーヴェンは、それでも現代に十分通用するベートーヴェンだ。
ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60
・「コリオラン」序曲作品62
アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1959.4.4,8&9録音)
果してこのフルートはオーレル・ニコレによるものなのかどうなのか(ニコレは1959年までベルリン・フィルに在籍した)。
第4番第1楽章主部アレグロ・モルトにおける重要なフルート独奏パッセージの美しさ。背景に、クリュイタンスのもつフランス的エスプリ(英語のスピリットともドイツ語のガイストとも違ったニュアンスだ)を感じさせる音楽の躍動。心からの感動を喚起する、宇宙的拡がりをもつベートーヴェン。何と大らかで、何と余裕のある音楽なのだろう。
「コリオラン」序曲の激しさがまたフルトヴェングラーのそれを髣髴とさせる。
クリュイタンスは当時のベルリン・フィルの音を、各奏者の方法を大切にした。
あくまでそこに自身の思念を刷り込んだだけだ。
すべてすべてすべてのものを、乾いた世界は梃子で動かす、
氷の舞台、質実な大海原を、
油から、重い熔岩から、すべてのものを。
春の都市、支配された花は、回る、
火の車輪のうえで灰の
町を回す地球のなかで。
「すべてすべてすべてのものを」
~同上書P76
トマスは世界の不自然さを嘆く。
本来すべては遊戯だ。
それを佛は「遊戯(ゆげ)」という。
人為的な「無理」があってはならない。
