アシュカール&シャイーによるメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を聴いて思ふ

mendelssohn_piano_concertos_ashkar_chailly旅先では集中力が増す。大自然の壮大無限の気に包まれること。そもそも見るもの聞くものすべてが初体験であること。特に、創造者にとって旅はインスピレーションの宝庫だ。
1830年代初頭、フェリックス・メンデルスゾーンは、風光明媚なイタリアを訪れ、様々刺激を受けた。「イタリア」交響曲はその最たる結果であるが、ピアノの名手であった彼が、ピアノ協奏曲を作曲する際に、かの南の地の影響を受けなかったはずがない(ように僕は思う)。

ライプツィヒのゲヴァントハウスでの要職に就いたフェリックスは1836年6月の母への手紙で次のように書く。

ライプツィヒでの仕事と地位によって、やっとドイツ国内に根をおろし音楽活動が出来るようになり、家族を養うために外国へ行く必要がなくなったようです。
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金編「メンデルスゾーンとその魅力」(聖公会出版)P21

そして、その3年後、1839年の友人モシェレス宛ての手紙では、「今、私は徹底して熱心なライプツィヒ市民です」とも書いている。

社会的に認められ、ようやく彼は「ユダヤ」の呪縛から逃れることができたということなのだろうか。どれだけ才能豊かでも、当時のヨーロッパでは出自や身分が(そして宗教が)すべてを左右した。現代においてはいかにも裕福なお坊ちゃん作曲家と思われがちのメンデルスゾーンにも実際のところ苦悩は多かった。生きるためのプレッシャーも並大抵ではなかったろう。

音楽作品に触れる上で、作曲家の生き様を正しく理解することは大切だ。
1831年に書かれた第1番と、1837年、多忙であったが脂の乗った絶頂期に生み出された第2番、いずれもメンデルスゾーンらしい仄暗さと明朗さをあわせもつ2つのピアノ協奏曲を聴いて思う。

地から湧き出ずる音楽。ピアノはかなりの速度を伴って劇的な旋律を奏し、一転第2主題では静かに、そして情緒豊かに歌う。フェリックスの協奏曲第1番は、同じ頃に活躍したショパンやシューマンのそれに優るとも劣らぬ傑作であるのにもかかわらず、その2作に比して演奏頻度は高くない。真に残念なこと。
ハイドンの「皇帝讃歌」にも似た、第2楽章アンダンテの憧憬と憂愁に溢れる旋律に涙する。アシュカールのピアニズムもさることながら、ゲヴァントハウス管弦楽団の弦楽器の美しさに惚れ惚れ・・・。この部分だけを切り取ったとしても後世に残る名作であると僕は思う。メンデルスゾーンは天才。

メンデルスゾーン:
・序曲「ルイ・ブラス」ハ短調作品95(1839年第1稿)
・劇付随音楽「真夏の夜の夢」作品61
・ピアノ協奏曲第1番ト短調作品25
・ピアノ協奏曲第2番ニ短調作品40
サリーム・アシュカール(ピアノ)
リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(2013.6.24-29Live)

ピアノ協奏曲第2番第2楽章アダージョのいかにもメンデルスゾーンらしい夢見る美しさ!囁き、丁寧に語りかけるピアノに対し、応答する木管、弦楽器群のまろやかな響き。何という音霊の妙。素晴らしいのは、第3楽章プレスト・スケルツァンドの重心の低い、地に足のついた軽快さ。ここにはフェリックス・メンデルスゾーンの自信と未来への強い意志が刻まれる。有名なピアノ・トリオ第1番の冒頭楽章にも通じる音楽の前傾の勢いとピアノが奏でる可憐な旋律の愉悦と饗宴。堪らない。

ところで、世界初録音の「ルイ・ブラス」第1稿は、先ごろ亡くなったクリストファー・ホグウッドの校訂によるもの。何とピュアな音楽であることか・・・。
そして何より、メンデルスゾーンに限らず珍しい作品を採り上げることに尽力するシャイーならではの業。

ちなみに、「真夏の夜の夢」は全体的に呼吸も浅く、平坦な演奏で、残念ながら心に響かない。

 

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1 COMMENT

畑山千恵子

シャイーには、イタリアに帰っていただいて、スカラ座に集中してイタリア・オベラに専念してほしいと思います。ゲヴァントハウスにはもう会わないような気がします。そろそろ、潮時ではないでしょうか。

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