リリー・クラウスのモーツァルト アダージョK.540ほか(1956録音)を聴いて思ふ

一点録音のせいもあるだろう。
あるいは、エンジニアのセンスの賜物かも知れぬ。凝縮されたあらゆる感情の坩堝。無造作に扉を開いてしまえば、溢れんばかりの光輝と香気。リリー・クラウスのモーツァルト。悲しみと喜びとを詰め込んだ、恐るべき集中力に富む音の宝石箱。

アダージョロ短調K.540。1788年3月19日作曲。作曲の動機や目的は明らかではないそう。しかし、そんなことは知ったことではない。そもそも創造行為に目的などあったものではない。楽想が湧いたから創った。ただそれだけなのだと思う。

音を選び、丁寧に弾く様。そうして、入魂。クラウスの、モーツァルトへの愛情が手に取るようにわかるのだ。美しい。

あの頃のモーツァルトは、父レオポルトの遺産相続問題やら何やらで、姉ナンネルとも袂を分かつ勢いの状況にあったらしい。もちろんプフベルクへの度重なる借金問題もあった。彼にとって創作活動は生活費を稼ぐための手段だったが、こういう音楽を聴くと、現実から逃れるための手段でもあったのかもしれないと想像したくなるほど。

厳格なソナタ形式と、仄暗い幻想的音調の狭間に、夢か現か、モーツァルトは悩み抜いていたのかも。

モーツァルト:
・アダージョロ短調K.540
・ピアノ・ソナタ第7番ハ長調K.309
・小さなジーグト長調K.574
・メヌエットニ長調K.355
・ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
・ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調K.281
・ピアノ・ソナタ第9番ニ長調K.311
リリー・クラウス(ピアノ)(1956録音)

バッハの影響を受けているとされるK.574。1789年5月17日作曲。

これをどこで書いていると思う?ホテルの自分の部屋で?いや、ティーアガルテンのある飲食店の眺めのいい園丁でだ。今日は、たった一人でお前のことを考えられるように、ひとりぽっちで食事をしている。女王は火曜日にぼくの演奏をお聴きになりたいそうだ。でもあまり儲けにはならない。ここの習慣にしたがって、それに悪くとられても困るので、自分の到着をお知らせしただけだ。最愛の妻よ、ぼくが帰ったら、きっとお金よりも、ぼくの身柄を喜んでくれるね。
(1789年5月23日付、ベルリンよりウィーンの妻コンスタンツェ宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P151-152

演奏旅行にまつわる現実的な報告と、様々な感情の入り交じる個人的な手紙の妙、K.574も果たしてお金のために作られたものなのだろうか?

厳しさよりも柔らかさが前面に押し出されるイ短調K.310の大らかさ。クラウスのピアノが歌う。内面に語り掛ける第2楽章アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッシオーネの慈しみと哀感は、終楽章プレストに受け継がれ、「疾走する哀しみ」に変貌する。傑作ソナタの超絶名演奏。

けっきょく、とうとうぼくは、おんぼろピアノを弾きました。ところが何より癪にさわったことには、夫人も紳士がたもデッサンの手を片時も休めず、描きつづけていたのです。だからぼくは安楽椅子やテーブルや壁に聴いてもらっていたわけです。そんなひどい状態で、もう我慢がしきれなくなり—フィッシャーの変奏曲を弾き始め、半分まで弾いて、立ち上りました。すると大変な賞賛です。
(1778年5月1日付、パリよりザルツブルクの父レオポルト宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」(岩波文庫)P145

不平不満を述べながらも、ここには無邪気なモーツァルトがいる。
リリー・クラウスのモーツァルトは実に美しい。

 

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