オルガンによるマーラー

10数年前、ショップでたまたま見かけた音盤が妙に気になり即刻手に入れ聴いたものの、その時はあまりピンと来ず、長らく棚に埋もれたCDを探し出して聴いてみた。墨絵のような単一的色彩の、霊験あらたかなるマーラーもなかなか良いものだとあらためて思った。ユダヤ人であるこの音楽家は、メンデルスゾーン同様人生のある時期にキリスト教(メンデルスゾーンはプロテスタント、マーラーはローマン・カトリックだが)に改宗している。宗教を変えることがそれほど大層な問題なのか、そのあたりについては一般的日本人にはほとんど理解できないものだが、歴史上常に迫害の憂き目に遭わざるを得なかったユダヤの民からしてみると(特にヨーロッパに住む)、単なる信仰上の問題でなく死活問題に関わるものだったのだろうと推測できる。19世紀、ワーグナーが「反ユダヤ」についての論文を書き、20世紀前半にはそのワーグナーの音楽を信奉したヒトラーのナチスによるホロコーストが起きたことも、1世紀や2世紀という単位で生じた問題ではない。人類史上、もっとも複雑で難解な問題がここにはある(そしてあらゆる芸術作品の真意を解く鍵もこの中にあるように思う)。

昨日のコメントで雅之さんから宿題をいただいた。こうやってキーワードを並べてみると確かに何かがありそう。しかしながら、今の僕の浅薄な知識の中ではまったく手に負えない。兄弟姉妹の固い絆も「ユダヤ」という性質から生じるものなのかそうでないのか、その辺りもまだまだ不明(それにしてもブラームスまでもがユダヤ人だったという説はどうなんだろう?少し強引な気がしないでもないが有馬氏の論文を読んでみたい)。

神は存在するのかしないのか。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を愛読したグスタフ・マーラーらしい主題だが、少なくとも彼は音楽を創造するとき、そこに「神」を見ていたと僕には感じられる。オルガン編曲版による第5交響曲の録音を聴きながら、ここにはまさに「神聖なもの」が存在することがわかる。

マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調(ディヴィッド・ブリッグスによるオルガン編曲版)
ディヴィッド・ブリッグス(オルガン)

第1楽章冒頭の、金管ファンファーレはオルガン演奏においても見事。敬虔な儀式がこれから始まるのだという合図のように聴こえる。第2楽章、第3楽章と聴き進むにつれ、もともとオルガンのためのソナタだったのではないかと思うほど自然な動きに驚嘆する。賛否両論あろうが、楽想に無理がなく、「第5交響曲とは宗教音楽だったんだ!」と思えるところが素敵。そして、何よりアルマに捧げたアダージェットの静謐な響き・・・。

この複雑な音楽がオルガンを通じて解体され、実に見通しが良くなっている。邪道かもしれないが、この作品をモノにするのに意外にとっておきの1枚かもしれない。繰り返し聴いてみよう・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>歴史上常に迫害の憂き目に遭わざるを得なかったユダヤの民からしてみると(特にヨーロッパに住む)、単なる信仰上の問題でなく死活問題に関わるものだったのだろうと推測できる。

吉成順氏のサイトにある「メンデルスゾーンの信仰告白:《宗教改革》交響曲の精神的背景」
http://homepage3.nifty.com/jy/essays/fmb_confession.htm
からは、学ぶところが多かったです。
その中で、ロンドンのフェリックスへ宛てた父アブラハムの手紙には、胸を打ちました。

ところで、マーラー:交響曲第5番についてコメントを書いている最中、私は、じつはもう一人同時代のユダヤ人、アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 – 1955年4月18日)
のことがずっと気になっていました。

1903年(マーラー:第5交響曲完成の翌年)1月6日にミレーバと結婚。翌年には長男ハンスを授かる。

1905年(同曲初演の翌年)、博士号を取得すべく「特殊相対性理論」に関連する論文を書き上げる。

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アインシュタインの語録および人物像

「人間の邪悪な心を変えるよりはプルトニウムの性質を変えるほうが易しい」
「我々の進もうとする道が正しいかどうか、神は前もって教えてはくれない」
「私は、理詰めで考えて新しいことを発見したことはない」
「空想は、知識よりも重要である。知識には限界があるが、空想は世界すら包み込む」
「普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらぜひ、お目にかかりたいものだ」

「いつだって、偉大な先人達は凡人達の熾烈な抵抗に遭ってきた」
「間違いを犯したことのない人とは、何も新しいことをしていない人だ」
「我々という言葉に疑問を感じる。誰も隣の人間と同じではない」
「人間性について絶望してはならない。なぜなら我々は人間なのだから」
「私は未来について考えたことがない。すぐに来てしまうのだから」

「私はユダヤ人ですが、ユダヤの教えを実践しているわけではありません。確かに、子どもの頃は信仰心が厚く、学校に行くときには、ユダヤの歌を歌っていたほどです。しかし、その頃初めて科学の本を読み、それで、私の信仰は終わりました。ただ、時を経るとともに、ある事実に気づくようになりました。それは、あらゆるものの背後には、私たちが間接的にしか、かいま見られない秩序があるということです。それは信仰にも通じます。その意味で、私は宗教的な人間でもあるのです」

彼は常に発明はユニークな発想と考えており、自身を天才であるとはいささかも思っていなかったという。それは彼の「私は天才ではない。ただ人よりも長く一つのことと付き合っていただけだ」との言葉にも表れている。・・・・・・ウィキペディア

アインシュタインはヴァイオリンの演奏を好み、公の場でもしばしば演奏した。しかし、ピアニストで友人のアルトゥール・シュナーベルとアンサンブルを行った際、何度も拍の勘定を間違えるため、シュナーベルから「君は数も数えられないのか」と呆れられたという。また、「ヴァイオリンの名手であった」という風評が一般的であるが、当時の高名なヴァイオリニストからは「relatively good」(直訳は”比較的良い”だが、意訳として相対性理論 (Theory of Relativity) とかけているため”相対的に良い”とも訳せる)と評価されている。・・・・・・・ウィキペディア

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マーラーの妹ユスティーネの娘、つまりマーラーの姪にはアルマ・ロゼーというバイオリニストがいて、父親アルノルト・ロゼー(マーラー指揮下のウィーン・フィル時代コンマスを務める)の娘として優れたバイオリニストだったのですが、オランダで公演中、密告によりナチスに連行され、アウシュビッツに送られ、そこで非業の最期をとげたそうです。毒殺といわれていますが、真相はさだかではないようです。・・・・・・下サイトより
http://www8.plala.or.jp/bone_trom/my_music/mahler_detail/judah_mahler.htm

ふと、国際社会・政治・経済の問題も、芸術も科学も、そして核兵器や原発事故問題までも、ユダヤから考えればすべて地続きなんだと思いました。

ご紹介のマーラー:第5交響曲のオルガン編曲版、ぜひ聴いてみたいです。
>オルガン編曲版による第5交響曲の録音を聴きながら、ここにはまさに「神聖なもの」が存在することがわかる。

もしそうであるならば、この曲に、人類の過去と未来への祈りを、自然に捧げたくなることでしょうね。
それは、切ないまでの、「愛が私に語ること」なのでしょう。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
毎々貴重な情報をありがとうございます。
「メンデルスゾーンの信仰告白」素晴らしいです。それと父アブラハムの手紙は重みがありますね。当時ヨーロッパ社会で正々堂々と生きていくにはユダヤ人という素性を隠さなければならなかったという、現代の日本に住む我々には想像もつかない事情が伝わってきます。
昔からユダヤという問題については興味があるのですが、まだまだ知らないことがたくさんありそうです。これはもっと掘り下げてゆく価値がありますね。昨日の宿題とあわせてじっくりと取り組んでみたいと思います。

>国際社会・政治・経済の問題も、芸術も科学も、そして核兵器や原発事故問題までも、ユダヤから考えればすべて地続きなんだと思いました。

同感です。この世界は「ユダヤ」という世界によって作られているといってもいいかもしれませんね。第5のオルガン版、機会がありましたらぜひ聴いてみてください。賛否両論でしょうが、おっしゃるとおり「愛が私に語るもの」だと僕も思います。

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