シューベルトは時間で聴くのではなく空間で聴くもの

クナッパーツブッシュの「ザ・グレート」を聴いてはたと気がついた。
どうしてこれまでこの曲が苦手だったのか・・・。いや、厳密には30年以上前に初めてフルトヴェングラー&ベルリン・フィルのグラモフォン盤を聴いたときにはむしろ繰り返し聴き込んだほど好きだったのに、いつから苦手になったのか・・・。
シューベルトの音楽は長い。ともかくいつ果てるとも知らぬ旋律が延々と連なる。
それこそ特別なシューベルト好きにはそういうところがたまらない至高の瞬間なのだろうけれど、そうでない者にとっては拷問に近い。余程の名演奏でない限りと考えていた。

なるほど、シューベルトの音楽は、時間で聴くのではなく空間で聴くものなんだ。
その意味において確かに「音の缶詰」である音盤は分が悪い。というより昔のモノラル録音などはっきり言って話にならないのではと考えられるが、さにあらず。音質の悪さを超えるだけの演奏力が高ければ録音の旧さを超えて我々聴衆の心を鷲掴みにする。そこが古の巨匠たちの偉大さ。たとえレンジの狭い、籠った音のものであろうと、聴き手の想像力を掻き立てるだけのエネルギーに溢れていれば人には感動を与えることができる。
そして、僕はもちろんクナッパーツブッシュの実演は聴いたことがないが、彼の演奏ほどその「力」を如実に物語る最右翼なのでは・・・。

ちなみに、1957年にクナッパーツブッシュがウィーン・フィルと演奏した実況盤を虚心に聴いてみる。時間を意識するのではない。そう、旋律は追っちゃだめだ。テンポの伸縮云々も二の次。オーケストラのバランス、各楽器のダイナミクスなど、その空間に浸るのである。恐ろしいまでの、悪魔が乗り移ったかのような瞬間も多発する、「魔王」ともいうべき刻が常時支配する。それは第1楽章冒頭のホルンの音色からしてそう。(ちなみに、聴衆の拍手が鳴り止む前に演奏を始めるといういかにもクナらしい挑発も刻印される)

・フランツ・シュミット:ハンガリー騎兵の歌による変奏曲(1930-31)
・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D944「ザ・グレート」
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1957.10.27Live)

55年前のおそらくウィーン・フィル定期の記録。
今夜繰り返し聴いて、かのフルトヴェングラーのグラモフォン盤を髣髴とさせる、いや、実演である分、より一層エネルギッシュで意味深く、そして即興的な部分も頻出する最高のパフォーマンスだと再確認する。白眉はフィナーレ!それも最後の瞬間、コーダになってようやく現れる恐るべき魔法。ここを聴くために冒頭から集中して耳をそばだてるのである。参った。とにかく畏れ入った。この演奏を聴かずして「ザ・グレート」は語るべからず。というより、これを聴かないとシューベルトの真意は掴めないのでは?そんな大袈裟なことすら感じてしまう超絶名演奏。

フランツ・シュミットの変奏曲も素晴らしい。まずはその音楽。いかにもワーグナー風のエロティックな旋律と、いかにもリヒャルト・シュトラウスの影響下にある緻密なオーケストレーション。


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