
久しぶりにヴェルディの「オテロ」を聴いた。
古い録音ながら、凝縮された音楽美の、まるで闘争のような解放と昇華に感激した。
さすがに初演を知るトスカニーニならではの、リアリティに富む再現だ。

ヴェルディはまったく新しい形式をもたらした。それにもかかわらず脈々として波打つイタリア・オペラの伝統的な息吹きは、この作品に接する者の心を完全にとらえずにおかない。構成は一見ワーグナー的であるけれども、示導動機の姿はさして見当たらないし、あくまでイタリア・オペラとしてのスタイルを貫いている。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー24 ヴェルディ/プッチーニ」(音楽之友社)P166
初演当時の新聞評は大絶賛の嵐。老巨匠が数年の時間をかけて創出した傑作は、聴けば聴くほど素晴らしい。
ミラノ・スカラ座での世界初演にトスカニーニは、第2チェロ奏者として立ち会っている。
当時は、オペラのオーケストラはシーズンごとに雇われたので、トスカニーニは《オテッロ》の準備を観察しようと決め、スカラ座オーケストラの第2チェロのオーディションを受けて合格した。《オテッロ》に加え、彼は《アイーダ》、ドニゼッティの《ルクレツィア・ボルジア》、ビゼーの《真珠採り》、そして、ギリシャの作曲家、スピリドン・サマラス(イタリアではスーピロ・サマラとして知られる)の《素晴らしい花》の世界初演の制作で演奏した。すべて、ファッチョの指揮だった。
その後終生トスカニーニは、1887年1月から3月にかけての《オテッロ》のリハーサル及び本番上演を彼の最高の学習経験の一つと言っている。
~ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(上)」(アルファベータブックス)P71-72
あらゆる音楽を暗譜で指揮することができたトスカニーニの天才は、具体的な努力はもとより、こういう歴史的モニュメントたる機会を逃さず、体験できたことによるものだろうとつくづく思う。
彼は後に、73歳のヴェルディがどのように舞台に座り、最初のオーケストラ・リハーサルで、オペラを開始する凄まじい総奏の前に最初の4拍を鋭くすばやく数えることによってファッチョにテンポを示したかを述べている。しかし、全プロセスに関してトスカニーニを最も魅了したのは、最初の全体リハーサル—独唱者、合唱団は衣装を着けて彼らの役を歌い演じ、フルオーケストラが演奏—で「我々は第1幕の最後まで止まらずに進んだ。すなわち、彼らはイン カーメラ(部屋で)(ヴェルディとファッチョはピアノ伴奏で歌手たちとリハーサルした)十分に、舞台上で十分に、そしてオーケストラと(十分に)リハーサルをしていた」という事実だった。換言すれば、最大限の徹底が最大限の能率と結び付いていた。彼がオーケストラ団員として、また、二流、三流の歌劇団において—そして、短いリハーサル期間を考えると恐らくトリノでも—指揮者として経験していたことは、行き当たりばったりの方式だった。スカラ座での経験を通じて彼は、オペラ制作に投入される各要素で別々に詳細なリハーサルを行なうことにより、それらの要素すべてが集められた時に時間を節約することを、彼のキャリア開始時点で理解した。
~同上書P72
こういうエピソードを知るにつけ感動を覚える。
そしてまた、リハーサルでの例の有名なエピソードが、トスカニーニのヴェルディ解釈にどれだけの幅をもたらしたことかがわかって興味深い。
或る時、ファッチョが第1幕の愛の二重唱でオーケストラのリハーサルをしている間、それはチェロ奏者4人だけの楽句で始まるのだが、ヴェルディが「第2チェロ奏者!」と叫んだ。トスカニーニの譜面台共奏者が肘で彼を突いて、起立するようにと囁いた。若いチェリストは急いで立ち上がった。そこで、ヴェルディは彼に、「君の弾き方は柔らか過ぎる。次はもっと大きな音で弾きなさい」と言った。その部分は”ピアノ“及び”ピアニッシモ“と表示されているが、ヴェルディは表情豊かな音声を求めた。この出来事はトスカニーニに大きな印象を与え、その結果を肝に銘じた。彼の残された会話では、「ヴェルディは我々に、柔らかく演奏するようにとは決して言わなかった」、「オーケストラは自然に演奏しなければならない」、「(作品の)活力はオーケストラの中にある!」というような言い回しがしばしば繰り返される。そして、彼は音楽家達に、ヴェルディの”ピアノ“表示は、ベートーヴェン、ワーグナー、さらにはモーツァルトの”ピアノ“表示と同じではないと告げるのだった。オーケストラは「歌い」、その音を持続させなければならなかった。
~同上書P72-73
「歌い」そしてその音を「持続させること」、それこそトスカニーニの音楽の真髄だと僕は納得した。

初演時、聴衆が熱狂し、3度のアンコールを要求したという。
最初は、第1幕の「フオーコ・ディ・ジョイヤ(喜びの火)」の合唱。
そして、第3幕の独白の最後で「オ・ジョイヤ!(おお、しめた!)でのハイB-フラット(一点変ロ)。
さらに、第4幕の「柳の歌」の直後の「アヴェ・マリア」である。
これらのシーンは、確かにトスカニーニの指揮で聴くと格別だ。
ちなみに、イギリス版LPから復刻されたオーパス蔵盤の音は衝撃的。
あまりに衝撃で聴きながらエネルギーを消耗するので普段使いはトスカニーニ・ボックスから。
