フルトヴェングラー&RAIローマ響の「ジークフリート」(1953)を聴いて思ふ

wagner_ring_furtwangler_1953012楽劇「ジークフリート」終幕最後のシーン、ブリュンヒルデとジークフリートの二重唱の場面は、同楽劇終幕最初のシーン、さすらい人とエルダの二重唱とあわせ、「ニーベルンクの指環」のひとつのクライマックスを形成する重要な場面だ。
フルトヴェングラー晩年の2種の実況録音盤を聴いて思った。
1950年のスカラ座公演はブリュンヒルデをキルステン・フラグスタートが、ジークフリートをセット・スヴァンホルムが担っているという意味で重い。さすがの名唱がこの大切なシーンを圧倒的に盛り上げる。しかし残念ながら、残された録音の状態がいまひとつ。一方のマルタ・メードルがブリュンヒルデを、そしてルートヴィヒ・ズートハウスがジークフリートに扮し、絶唱を聴かせる1953年のローマ録音は、音質も限りなく良好で、鑑賞に充分に耐え得る。何よりここでは最晩年のフルトヴェングラーの劇的な灼熱のワーグナーを堪能できるという意味で一層価値が高い。

過去を投影し、未来を映す「鏡」となる幕。緊張感溢れる「ジークフリート」第3幕こそ「指環」における最重要箇所であり、リヒャルト・ワーグナーが何年もの中断を経、その間、「トリスタン」と「マイスタージンガー」を完成させるや、満を持して「指環」の世界に戻っての最初の仕事であり、音楽の質も極めて高い。ワーグナーの筆は一層充実度を増し、音楽はそれだけで生き物のように生命力に満ちる。そして、1953年10月26日の「ラインの黄金」に始まり、同年11月27日の「神々の黄昏」第3幕まで、ローマのアウディトリオ・デル・フォーロ・イタリーコにおける10回にわたるコンサートでの、明らかにワーグナーの毒にやられそうな魔物に憑りつかれた演奏はフルトヴェングラーの独壇場。

起きろ、ヴァーラ、
ヴァーラ、目ざめるがよい!
お前は久しくまどろんでいたが
お前の眠りを覚ますためにやって来た。
わたしの声を聞くがよい!
P121

さすらい人(ヴォータン)は巫女エルダに語りかける。

お前ほど万物の消息に明るい者はない。
お前は地の底にひそむものに通じ、
森羅万象を織り成しているものに通じている。
生命のあるところお前の息が吹き通い、
知能の働きのあるところお前の念慮が働いている。
P123

没落に向かう時、誰もが答を求めてすがる。ヴォータンも不安なのだ。物思いに沈み、かなり長い沈黙の後エルダは応える。

目を覚ましてみるとすべてが混沌としている。
この世は軌道を外れ千々に乱れている!
ヴァーラの子、ヴァルキューレ(すなわちブリュンヒルデ)が
万物に通じた母が眠っている間
罪をあがなうために眠りの枷をはめられたとは。
P125

ここでさすらい人(ヴォータン)は、エルダの忠告を無視し、もはや自分には不安など微塵もないと言い切る(いまのわたしは神々の滅亡を気に病んで悩んでなどいない、むしろそれを望んでいるくらいだ)。すべてはジークフリートが手に入れた指環のお陰だと。
万物への感謝の念、そして「母なる宇宙に」尊崇の念を忘れたとき、たとえ「神」といえどもその者には終末が訪れることをここでワーグナーは仄めかす。

ワーグナー:楽劇「ジークフリート」
フェルディナント・フランツ(さすらい人、バリトン)
ルートヴィヒ・ズートハウス(ジークフリート、テノール)
ユリウス・パツァーク(ミーメ、テノール)
アロイス・ペルネルシュトルファー(アルベリヒ、バリトン)
マルタ・メードル(ブリュンヒルデ、ソプラノ)
ヨーゼフ・グラインドル(ファーフナー、バス)
マルガレーテ・クローゼ(エルダ、アルト)
リタ・シュトライヒ(森の小鳥、ソプラノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮RAIローマ交響楽団(1953.11.10, 13 &17Live)

第3幕最終場におけるブリュンヒルデとジークフリートの二重唱シーンはフルトヴェングラーとズートハウス、そしてメードルによる三つ巴の聴かせどころ。弦楽器群がうねり、管楽器群が咆哮し、1930年代の例の「パルジファル」や「トリスタン」を髣髴とさせる不気味なエロスに僕たちは陶然となる。

わたしは永劫の時を生きてきた、
永劫の時の中で甘美なあこがれの歓びにひたりながら
いつもあなたの身の栄えばかり念じてきました!
P157

コージマとの、愛息ジークフリートへの愛情をなぞらえるように、ここでの音楽は「牧歌」にも使われた「純潔の動機」だ。フルトヴェングラーの棒はいったん沈静し、ブリュンヒルデの至上の愛を見事に表現する。
ちなみに、対訳部分はすべて日本ワーグナー協会監修・三光長治/高辻知義/三宅幸夫編訳「ジークフリート」(白水社)からの抜粋だが、この大判の対訳書は、注釈や譜例が充実しており、ワーグナーの楽劇を聴く上でとても参考になる。
ブリュンヒルデとジークフリートの最後の二重唱についての興味深い注。

幕切れに至るまで、ジークフリートとブリュンヒルデの対話/音楽には、一致と不一致、あるいは吸引と反発が交替する。
P148

なるほど世界を陰陽二元で捉え、すべてが完全にはなり得ない表裏にあることを悟っていたワーグナーらしい方法だ。フルトヴェングラーの解釈はあまりに内側に没入する主観的で激烈なものゆえ、その意味では作曲者の意図、枠をはみ出しているかも。

 

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