キャロル・マデリーンのマルトゥッチ「回想の歌」&レスピーギ「日没」(1987.11録音)を聴いて思ふ

martucci_respighi_madalin426荒天は大地を洗う。
澄んで乾燥した空気。
空を見上げたら半月がとてもきれいだった。

言葉は思考や感情を閉じ込める。たったひとつの言葉が表す意味は本来無限。
それゆえだろう、後世の人々は言葉の真の意味を理解するのに格闘した。
一方、音楽は言葉を超える。少なくとも思考や感情を閉じ込めることはない。
いや、音楽だって作曲家の心が投影されているはずでは?
確かに反映はされる。しかし、ひとたび形式の中に入った音の連なりは普遍性を保ち、人々の魂に訴えかける。世の東西や古今を問わず、そこには永遠がある。

この人は言葉を信じていなかったのではないかと、「夜想曲」を聴いて思った。この浪漫溢れる濃密な音楽は、音楽そのものによって心情や風景を描き切ろうとする作曲家の大いなる意思だ。何と優しく夢見るような音楽であることか。

イタリアはナポリの巨人、ジュゼッペ・マルトゥッチ。
果たして彼がオペラを書かなかったのはなぜ?その代りにかどうなのか、ワーグナー作品のイタリア初演に尽力したのはなぜ?
おそらくワーグナーを絶対視する潔さとでも言うのか。その作風は明らかにワーグナーの影響を受け、一方でリヒャルト・シュトラウスの持つ諦念や透明感さえ獲得したものゆえ、実に心地良い。いかにも開かれた音楽。

マルトゥッチ:
・回想の歌(1887)
・夜想曲作品70-1(1891)
レスピーギ:
・メゾソプラノと弦楽合奏のための「日没」(1918)
キャロル・マデリーン(メゾソプラノ)
アルフレード・ボナヴェーラ指揮イギリス室内管弦楽団(1987.11.13-14録音)

キャロル・マデリーンの色艶ある歌の素晴らしさ。「回想の歌」7曲の内側に垣間見える懐かしさ、そして哀惜の情。弦楽器のうねりと粘りは、まるで自意識過剰なドイツ音楽のよう。エネルギーが内へ内へと収束する。

また、レスピーギの「日没」と題する情感豊かな歌の素晴らしさ。
この甘美な旋律に陶酔。自然も人生も黄昏時が一番輝き、美しいのかも。

 

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2 COMMENTS

雅之

>言葉は思考や感情を閉じ込める。たったひとつの言葉が表す意味は本来無限。

方言のことまで考えたら、特にそうですね。

>一方、音楽は言葉を超える。少なくとも思考や感情を閉じ込めることはない。

私は、音楽も言葉だと思います。言葉は音楽で、音楽は言葉です。両方人間が創ったから。

何も知らない外国語の会話を聴いたら、それは音楽にしか聞こえません。

言葉にも世の東西や古今を問わず、そこには永遠があります。
もしも音楽がそうであるならば・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

>言葉にも世の東西や古今を問わず、そこには永遠があります。
もしも音楽がそうであるならば・・・。

ですね・・・。
昨晩は酔いが回ってかなり朦朧として深夜に記事を書いておりましたので、今読むといい加減さ・適当さに我ながら恥ずかしくなります。
おっしゃるとおりです。

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