ティーレマン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲第9番を観て思ふ

beethoven_9_thielemann_vpo054抱き合おう、諸人よ。この口づけを世界に!
ベートーヴェンは交響曲第9番を通じて、もはや感情に左右される仮我の世界を脱し、空を体現する真我の世界に昇華するよう人々を説こうとした。終楽章の前3つの楽章の主題を否定し、「歓喜の主題」を導こうとする方法こそまさに孤高であり、悟りの境地である。

終楽章のチェロによる「歓喜の主題」直前の間のとり方といい、テンポが揺れ、うねる音楽の運びといい、クリスティアン・ティーレマンの解釈は明らかにフルトヴェングラーの様式をなぞろうとしているが、フルトヴェングラーの音楽がいわば曲線的で、しかもデュオニソス的であるのに対し、彼のものはいかにも直線的でアポロン的である(そもそも指揮姿自体があまりに律儀で正確なビートを刻む)。熱いと見せかけながらこれほどクールな演奏はほかにない。

「ゲーテ詩集」をひもといた。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポコ・マエストーソの苦悩は「人間性の限界」に通じる。ベートーヴェンもゲーテ同様愚かな人間を諭す。

いかなる人間も
神々と
力をきそうべからず。
もし人、高く伸び上がりて
頭もて星に触れなば、
おぼつかなき足は
踏みしむるところなく、
雲と風に
もてあそばる。
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P98-99

第2楽章モルト・ヴィヴァーチェの祝祭は、「神性」そのもの。

人間は気高くあれ、
情けぶかくやさしくあれ!
そのことだけが、
我らの知っている
一切のものと
人間とを区別する。
~同上書P121

スケルツォとトリオの音調がこの詩の内にそのまま刻まれるよう。

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
アネッテ・ダッシュ(ソプラノ)
藤村実穂子(メゾソプラノ)
ピョートル・ベチャワ(テノール)
ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス)
ウィーン楽友協会合唱団
クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2010.4Live)

そして、第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレの安寧は「水の上の霊の歌」に近しい。

人の心は
水にも似たるかな。
天より来たりて
天に登り、
また下りては
地にかえり、
永劫つきぬめぐりかな。
~同上書P101

ヴィオラによる第2主題の清らかで颯爽とした調べに心奪われる。ややもすると恣意的になりがちなティーレマンが最も自然な瞬間だ。コーダの金管の警告に呼応するヴィオラのいぶし銀の渋い音色にも思わず感応する。美しい・・・。

そして、シラーの「歓喜に寄す」をテクストにした終楽章には、「シラーの頭蓋骨をながめて」が・・・。

沈痛な納骨堂の中に立って私は
頭蓋骨が所せまく並んでいるのをながめ、
星霜ふりし昔のことを思い出した。
かつては憎み合った人々もひしひしと並び、
生前互いに命がけで争った硬い骨も
おとなしくここに互いちがいに並んで憩うている。
~同上書P241

死して人は何の区別もなくひとつになる。
逆に言うならば、人は死なない限りひとつになれないということか・・・。
いや、それは違う。身体をもってしてもいまここでひとつになれる、とベートーヴェンは世界に向けて発信した。200年前のことだ。恐るべし。

 

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4 COMMENTS

畑山千恵子

2015年2月24日、ティーレマンを聴きに行きます。リヒャルト・シュトラウス、ブルックナーですが、どんな演奏になるかが楽しみですね。ベートーヴェンの交響曲も聴いてみたいものです。

返信する
岡本 浩和

>畑山千恵子様
いまだにティーレマンの実演には触れておりませんが、ベートーヴェンは聴いてみたいと僕も思います。

返信する
michelangelo

岡本浩和様

はじめまして。お邪魔致します。

此方の記事にお書きになられていた「熱いと見せかけながらこれほどクールな演奏はほかにない」に対し、ハッとさせられ感動致しました。確かに数年前、サントリーホールで彼が指揮した「トリスタンとイゾルデ(前奏曲と愛の死)」を拝聴した時でさえ、陶酔的とは逆の清らかを思い出します。見た目は迫力のある御方ですが、「田園」のことを「音楽の聖書」と仰るあたり、御育ちと言いますか人間性も見えてきます。

ご紹介頂きました、第3楽章の第2主題とコーダのヴィオラ部分。此方を、じっくり聴いてみたいと思います。貴重なアドバイスを、ありがとうございます。今後、ワーグナー記事の数々も遡って拝読したいと思います。長々と、失礼致しました。

返信する
岡本 浩和

>michelangelo様

コメントをありがとうございます。
ティーレマンが「田園」を「音楽の聖書」と呼んでいることは初めて知りました。
楽聖のシンフォニーの中で6番を最も評価し、ある意味全作品の頂点のひとつだと僕は考えているのでこの言葉に膝を打ちました。ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

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