新しい時代の幕が開いた。
思い込みや心配や不安や・・・、余計なものを削ぎ落とし、あらためて日々を懸命に生きてみる。
音楽とはひらめきだ。ある時、ある瞬間、突然わかる。それがたとえどんなにさっきまで理解できなかったものでも。
箱根への往路、1時間と少しの間、珍しくiPodに仕込んでおいたチャイコフスキーを聴いた。何だか心に届いた。そして、復路もゆっくり耳にしてみようと思っていたのだけれど、友との会話優先で当然「一人の世界」には入れなかった(笑)。よって、帰宅後一日の締めくくりに再度聴いてみた。宴の余韻も残っているのか思わず目から鱗が落ちた。
1871年という年はチャイコフスキーにとってとても充実した年だったようだ。3月に開いた自作演奏会(会場にはモスクワの知識人もたくさん訪れていたのだと)で演奏された弦楽四重奏曲第1番、中でも「アンダンテ・カンタービレ」はすぐさま有名になった。そして、その年の秋、居候していたルビンシテイン宅から独立し、一人住まいを始める。
そういう状況で生み出されたのが「小ロシア(ウクライナ)」と呼ばれる第2交響曲なんだ。自信と余裕に満ちているのは当然。類稀な創造力と優れた作曲技法と。
そこにベートーヴェンへの明らかな意識があったのかはわからない。確かに調性は「ハ短調」だけれど、ウクライナの民謡が引用されていることから考えるとむしろ彼の先輩たちである「5人組」への対抗心、意識の方が強かったのでは?
ともかくチャイコフスキーらしいロシア的哀愁に満ちた美しい旋律と鬱積したものが解放される喜びに溢れた音楽が連綿と綴られる。良い曲だ。
チャイコフスキー:
・交響曲第2番ハ短調作品17「小ロシア」(1993.6.9,10録音)
・弦楽セレナードハ長調作品48(1992.6.22-25録音)
エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団
クラシック音楽を愛好してきたこれまでの人生の中で痛恨事はいくつもあるのだけれど、そのうちのひとつがスヴェトラーノフの実演を聴き逃したこと。何度もチャンスはあったのに、である。彼のこれらの名演奏に接するたびにそのことが悔やまれてならない。
ところで、第2交響曲は1880年に大幅に改訂されている。初演当時絶賛を浴びたにもかかわらず、作曲者本人はどうやら気に入らなかったよう。第5交響曲のケースを合わせて考えてみても、どうやらチャイコフスキーはとても自分に厳しかった。世間が何と言おうと、どんなに評価を受けようと、自分の「思い」と異なったものなら即座に引き下げた。まぁ、しかしそういう「自己批判的精神」こそが彼の音楽を長らえさせる大きな要因だろうからそれはそれで良しのなのだが。ただし、実際に初版も聴いているタネーエフによると最初の版の方が優れているということだから、何とも聴いてみたいところだ(ピアノ編曲版しか出版されていないということらしいがどうなんだろう?)
こんにちは、ヤマザキです。私も今になってスヴェトラーノフを聴き始め結構
はまっています。最初はローマの松の爆演に驚きましたが、チャイコフスキー交響曲の
一連の来日ライブは凄い盛り上がりで本当に実演を聴きたかったです。
また最近発売されたスウェーデン放送管弦楽団の演奏はオーケストラも優秀で、音も良く
巨匠スヴェトラーノフの雄大な演奏が聴けます。
>ヤマザキ様
こんにちは。
ヤマザキさんなどはスヴェトラはお手の物かと思っておりましたが・・・。
いやあ、本当に後悔です。
「ローマの松」は未聴ですが、来日ライヴは見事ですよね。
スウェーデン放送管とのものも聴いておりませんので、聴いてみようと思います。