日曜日らしく、午前は遅めに自宅を出、早稲田の穴八幡宮を詣でた後東新宿に向かった。時間にして正味1時間ほど。雲一つない快晴で初春の風が心地良い。歩きながら「カルミナ・ブラーナ」の次の歌詞を思い出した。
「初春に」~「春の愉しい面ざしが」
春の愉しい面ざしが この世界に近づいて来る、
冬のするどい寒さは、負けてもう逃げてゆく。
色とりどりな装いに 花の女神は今や(世を)統治する、
森や林の、音もたのしげな 歌声に賞めたたえられ。
(訳:呉茂一)
静かに、そしてゆったりと歌われる自然賛歌。東京のど真ん中にいても、下町風情を失わない自然豊かな街中を散策することは身にも心にも良い。一日ゆっくりまったりと過ごした。
カール・リヒターの「マタイ受難曲」の新盤を抜粋で聴き、Herb Alpertの”Bittersweet Samba”をあらためて聴き、さらにはキリル・コンドラシンが1967年に来日した折のマーラーの9番の実況録音盤を聴く。
もう20年以上前になる。ロンドン・フィルと来日したアンドレ・プレヴィンがサントリーホールでショスタコの第5番を演奏したのを聴いた。若々しい、まるで今その場で作曲された音楽が、そのまま料理されて出てきているのではないかと錯覚するほどの演奏は、20代前半の僕にとってはまさに衝撃だった(以来プレヴィンの実演はおそらく聴いていない)。
それから5年近く後に録音されたこの音盤は、さすがに元ジャズメンらしい即興性と、クラシック音楽の何たるやを根本的に押さえた重心の低さが同居した名演奏であると僕は思う。久しぶりに聴いたが、どの瞬間も活き活きとして、聴く者に元気を与えてくれる。
「いのち」を感じる、生命エネルギーに満ち満ちた名作。
おはようございます。
またまた私のことで恐縮なのですが、私の父は1929年、つまり大恐慌の年の生まれで、私はこの年に生まれた芸術家には、ある種特別な思い入れがあります。
プレヴィン(1929年4月6日 – )
ハイティンク(1929年 3月4日 – )
ベルグルンド(1929年4月14日 – )
ドホナーニ(1929年9月8日 – )
アーノンクール(1929年12月6日 – )
など、大好きだったり、それほどでもなかったりする指揮者がいるのですが、好き嫌いを超えて客観的に考えると、カラヤン、ベーム、バーンスタイン、ヴァント、ヨッフム、チェリビダッケ等の旧世代に比べ、真の巨匠と呼ぶには、全員何かが決定的に不足しているような気がします。今の私の価値観では、そんなことどうでもいいのですが、世代論的考察の対象としては興味深いと思います。
因みに、1929年生まれ、指揮者以外では、
チェコの世界的ヴァイオリニストであるヨゼフ・スーク(1929年8月8日 – )
アンネ・フランク(1929年6月12日 – 1945年3月上旬)
オードリー・ヘプバーン(1929年5月4日 – 1993年1月20日)
黛 敏郎(1929年2月20日 – 1997年4月10日)
藤山 寛美(1929年6月15日 – 1990年5月21日)
等がいますが、たとえ若くして死した人でも、指揮者部門のような物足りなさは感じません。
また、プレヴィンと誕生日がまったく同じ著名人には、
小沢 昭一(1929年4月6日 – )
がいます(以上すべて敬称・敬語略)。
で、「カルミナ・ブラーナ」のプレヴィン&VPO他の盤なのですが、私としては、例えばヴァント&北ドイツ放送響他による知る人ぞ知る究極の超名演盤
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1079427
と比較すると、厳しさの点で大きく不足し、もの足りません。
プレヴィン、昔から何回も実演を聴いていますが、本当に冴えていたのは、1970年代だったと思うし、事実録音でもそうです。
でも、緩くなったプレヴィンだっていいです。先輩達のような大巨匠にならなくても、心から敬愛しています。
あ、また、ぜひムターみたいに若く妖艶な新しい恋人をみつけていただき、いつまでもお達者で!! プレヴィン先生!
>雅之様
こんにちは。
1929年生まれ、こうやって並べてみると錚々たるメンバーですね。
>世代論的考察の対象としては興味深いと思います。
確かに一世代前の指揮者と比べて何か理由がありそうですね。
追究すると面白そうです。
ご紹介のヴァント&北ドイツ放送響盤は未聴です。僕としたことが・・・、です(汗)。
>本当に冴えていたのは、1970年代だったと思うし、事実録音でもそうです。
なるほど、そうなんですね。僕は録音でしか触れていないのでそのあたりを実感できないのが残念です。
>ぜひムターみたいに若く妖艶な新しい恋人をみつけていただき、いつまでもお達者で
その通りです!!(笑)
[…] 春が蠢くというより初夏の陽気。 所用で新宿界隈を自転車でぶらりとしたが、御苑は人の山。道行く人々はそこかしこに立ち止まり、満開の桜に酔い痴れる。こんな日は「春の祭典」か、はたまた「カルミナ・ブラーナ」か。いや、ここは少しひねって「結婚」を。 「フィガロ?」 「ノン!」 「真夏の夜の夢?」 「ノン!」 […]