カンブルラン指揮読響第606回名曲シリーズ

信仰篤きオリヴィエ・メシアンの真骨頂。
実際、どこからどこまで文字にすればよいのかわからないほどの情報量の多さ。少なくとも音楽と詩が、神より人類に与えられた最高の「媒体」であることがよくわかった時間だった。時間と空間を司る神への崇敬。休憩を入れて6時間弱の壮大なドラマは、イエス・キリストを絶対の存在とする点においてさすがに熱烈なるカトリック信者だけあるが、その音楽はキリストを凌駕し、大自然・大宇宙の創造主に寄り添おうとするエネルギーとパワーに満ちていた。

解脱に痛みは要るのか?
絶対愛を獲得するのに苦悩は要るのか?

十字架にこそ完全な喜びがあるとするメシアンの創造したこのオペラ(というよりオラトリオ)は、あらゆる瞬間に音楽が沈潜し、そして激し、僕たちの脳髄を大いに刺激した。それは、信仰を忘れつつある現代人へのある種警告であるように僕には聞こえた。
全編にわたり、「神を信ぜよ」というメシアンの声が聞こえ、そしてまた、最終幕第8景「死と新生」において幾条もの光がステージに差すようだった。

オリヴィエ・メシアン畢生の大作「アッシジの聖フランチェスコ」は実演でこそ生きる作品だ(本当は動きと演出のある正規のオペラで鑑賞すべきだろう)。ちなみに、今日の公演は演奏会形式であったが、特筆すべきは、舞台P席後方と2階RB席&LB席それぞれにオンド・マルトノが配され、絶妙な音響効果を生み出していたこと。あの、聖フランチェスコの箴言と絡むオンド・マルトノの電子音はほとんど天上からの神の意志だと言えまいか。

読響創立55周年&メシアン没後25周年記念
読売日本交響楽団第606回名曲シリーズ
2017年11月26日(日)14時開演
サントリーホール
エメーケ・バラート(天使、ソプラノ)
ヴァンサン・ル・テクシエ(聖フランチェスコ、バリトン)
ペーター・ブロンダー(重い皮膚病を患う人、テノール)
フィリップ・アディス(兄弟レオーネ、バリトン)
エド・ライオン(兄弟マッセオ、テノール)
ジャン=ノエル・ブリアン(兄弟エリア、テノール)
妻屋秀和(兄弟ベルナルド、バス)
ジョン・ハオ(兄弟シルヴェストロ、バス)
畠山茂(兄弟ルフィーノ、バス)
新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
ヴァレリー・アルトマン=クラヴリー(オンド・マルトノ)
大矢素子(オンド・マルトノ)
小川遥(オンド・マルトノ)
長原幸太(コンサートマスター)
シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団
・メシアン:歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式)

第1幕第1景「十字架」から恐るべき集中力。
作曲者自身の台本にある言葉はひとつひとつが意味深く、音楽も複雑な音符の一つ一つが物を言う(全幕にわたり随所に挿入される木魚の音が耳から離れない)。鳥は神の使いとするのかどうなのか、都度様々な鳥が歌い、聖フランチェスコが世界の平和を祈り、説くのである。

太陽は昼であり、
あなたは太陽で、私たちを照らされます。

あなたは、月と星を
天に明るく、貴く、
美しく創られました。

この世界に本来差別はなく、美醜を超えた生あるのみ。果たしてメシアンは秘法を得ていたのだろうかと思わせるほど、第2景「賛歌」での祈りが美しかった。そして、第3景「重い皮膚病患者への接吻」での、フランチェスコの解脱のシーンのあまりの尊さ。重い皮膚病患者は聖フランチェスコの崇高な接吻の後、こう叫ぶ。

奇蹟だ、奇蹟だ、奇蹟だ、治った。

そして、2時間を超える第2幕の、丁寧に描かれる聖フランチェスコのあらゆる神秘の場面が、僕の魂を鷲づかみにした。第4景「旅する天使」での、素性を決して明かさぬ天使の可憐な歌。第1幕での天上からの声とは一味違い、俗世に現れた天使の声の何と人間的な響きだったことか。僕たちは、どんなときも守られているのだ。また、天上の高貴さに届く、目に見えない音楽こそが真理だと説かれる第5景「音楽を奏でる天使」では、後半の3台のオンド・マルトノ(三位一体?!)による静謐で神々しい旋律に思わず魅了され、そこに徐に合唱が被ったときの恍惚感に僕は痺れた。さらに、第6景「鳥たちへの説教」は、聖フランチェスコの最も有名なエピソードだが、(打楽器や木管の複雑多様な動きを伴う)鳥の鳴き声が方々から色彩的に聞こえるこの場面では、上方から確かに淡く青い光が降りてくるのが感じられた(気のせいか?!)。ここにある叫びと囁きの錯綜は、メシアン音楽の静と動を見事に表現しており、実に素晴らしい。

第1幕後同様、第2幕後も35分間の休憩をはさみ、いよいよ第3幕。確かに見せ場で重要なシーンが続く。
第7景「聖痕」での、イエス・キリストの声と化した合唱の恐るべき重さに目を瞠り、第8景「死と新生」での、聖フランチェスコが逝き、浄化されゆく様に大いに感動。何より最終クライマックスの、底が抜けるかと思われるほどの轟音と音楽の大爆発に卒倒。この、マーラーやショスタコーヴィチを凌ぐであろう大音響のカタルシス。
ところで、歌手は誰もが素晴らしかったが、ことに聖フランチェスコを演じたヴァンサン・ル・テクシエの情感豊かなバリトンと重い皮膚病を患う人を演じたペーター・ブロンダーの表現力に感銘を受けた(もちろん天使役のエメーケ・バラートも)。

夢見る5時間弱はあっという間に終わった。

AR わずかとは云え、能楽を思わせるように意図的に示されていますね、天使が別の世界からやって来るところは。
OM その通り。しかも天使はこう繰り返す―私は遠くからやって来ます。長い旅を経てきました、と。
アルムート・レスラー著/吉田幸弘訳「メシアン―創造のクレド 信仰・希望・愛」(春秋社)P174

 

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