カラヤン指揮ベルリン・フィルのワーグナー「ローエングリン」(1975-81録音)ほかを聴いて思ふ

トネリコの木からノートゥングを引き抜くジークムントを思う。

この剣を石の台座から引き抜く者は、たとえそれが誰であれブリテイン全土の真の統治者である。
(若月眞人・狩野ハイディ訳)

この言葉に始まるリック・ウェイクマンの「アーサー王と円卓の騎士たち」は、彼が自身の個人的な体験をアーサー王の物語に重ねて創造した傑作アルバムである。音楽は弾け、また沈潜し、常に揺れる。リックの弾くムーグがいななき、解放的な楽の音がそこかしこに響き渡る。”Guinevere”に溢れる詩情。そして、勇猛な音調の”Sir Lancelot and The Black Knight”の、果敢に動き回るキーボードの閃き。リック曰く、騎士ラーンスロットは自身で、黒騎士は心臓発作なのだという(アルバム制作の直前、彼は心臓発作に見舞われ、数ヶ月の入院を余儀なくされた)。首肯。また、”Merlin The Magician”のまるで環境音楽のような旋律美(数年前、国際フォーラムでの来日公演で、リックはこのアルバムからのいくつかの曲をピアノ独奏で披露したが、あれは一世一代の素晴らしいパフォーマンスだった)!!

・Rick Wakeman:The Myths And Legends Of King Arthur And The Knights Of The Round Table (1975)

Personnel
Rick Wakeman (synthesisers, keyboards, grand piano)
Gary Pickford-Hopkins (lead vocals)
Ashley Holt (lead vocals)
Geoffrey Crampton (lead and acoustic guitars)
Roger Newell (bass guitar)
Barney James (drums)
John Hodgson (percussion)
New World Orchestra
English Chamber Choir

壮大な終曲”The Last Battle”の、これ以上ない崇高で哀感に溢れる音楽は、争いの時代が過ぎ去り、永遠の平和が訪れたことを告げる。

1200年ごろのこと、グラストンベリーの僧侶たちは、グィネヴィアの遺骨の傍らに埋められたアーサーの遺骨を発見した。棺桶の下には鉛の十字架とともに石が置かれており、その石にはラテン語で碑文が刻まれていた―アーサー王、その妻、グィネヴィアとともに此処アヴァロンの島に眠る。
(若月眞人・狩野ハイディ訳)

40余年のときを経て、リック・ウェイクマンの名盤が蘇るよう。
ちなみに、円卓の騎士団には、パルジファルがいて、またトリスタンがいた。

湖の貴婦人に育てられ、王の妃と恋に落ちることで、円卓の騎士団の崩壊の原因にもなる「湖の騎士ランスロット」、コルノウェイの騎士トリストラム(トリスタン)とヒベルニアの王女イソルト(イズー)との悲恋物語、父の代から聖杯探求をつづけるペルスヴァル(パーシヴァル)と、ランスロットの息子ガラハドによる聖杯探索物語など、円卓の騎士たちの話は幾重にも広がる。
19世紀ドイツでは、ワグナーが徳高き理想的社会として騎士の世界を歌い上げた。
原聖著「興亡の世界史―ケルトの水脈」(講談社学術文庫)P265-266

ところで、聖杯の騎士パルジファルの息子ローエングリンの物語。
リック・ウェイクマンの浪漫溢れる創造物に先立つこと百数十年、リヒャルト・ワーグナーのロマン的歌劇「ローエングリン」には、ヘルベルト・フォン・カラヤンが紆余曲折を経、数年をかけて録音、リリースした名盤がある。素晴らしいのは狡猾な目論みに溢れる一方、ローエングリンとエルザの愛の絆が(揺れ動きつつ)確認される第2幕。特に第3場の女たちと小姓たちによるエルザへのかけがえのない祝福の合唱の劇的、かつクレッシェンドで盛り上がる場面はカラヤンの独壇場であり、こんなにも感動的な音楽はない。そしてまた、第5場の、王、男たち、女たち、小姓たちによる合唱をいわば伴奏にし、オルトルート、フリードリヒ、ローエングリン、エルザによって繰り広げられる絶妙な四重唱に圧倒されるのである。

さあ聞くがよい、禁じられた問いに今こそ答えよう―
私はグラールによってこの地へ遣わされた者、
聖杯王の冠を戴くのは、わが父パルツィヴァル、
そしてその騎士たる、わが名はローエングリン!
(第3幕第3場)
日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫/池上純一編訳「ローエングリン」(五柳書院)P101

さしずめ日本の「浦島太郎伝説」、あるいは「鶴の恩返し物語」のようなもの。隠された裏は決して公にしてはならないのに、最終的に、エルザは禁を破ってしまう。いつの時代も翻弄する悪者がいて、人間というもの、そういう輩に乱されないだけの自身への確信を深めねばならぬ。

徳高き姫に栄えあれ!
ブラバントのエルザ、万歳!
~同上書P79

・ワーグナー:歌劇「ローエングリン」
ルネ・コロ(ローエングリン、テノール)
アンナ・トモワ=シントウ(エルザ・フォン・ブラバント、ソプラノ)
ジークムント・ニムスゲルン(フリードリヒ・フォン・テルラムント、バス)
ドゥーニャ・ヴェイソヴィチ(オルトルート、ソプラノ)
カール・リッダーブッシュ(ハインリヒ・デア・フォーグラー、バス)
ロバート・カーンス(王の触れ役、バリトン)
クラウス・ラング(ブラバントの貴族、テノール)
ペーター・マウス(ブラバントの貴族、テノール)
マルティン・ファンティン(ブラバントの貴族、バス)
ヨーゼフ・ベッカー(ブランバントの貴族、バス)
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1975.12.8-11, 1976.3.3-8 &1981.5.22-23録音)

カラヤンとタイトル・ロール、ルネ・コロとの確執が原因で、(リック・ウェイクマンのアルバムが発売された直後にスタートした)このプロジェクトはしばらく棚上げにされたが、数年の時を経て再開され、無事リリースとなったとき、世間は騒いだ。

これだけのキャストと、そして何よりもベルリン・フィルによって、カラヤンは、真っ白な羽毛が光を受けて一本一本輝くのが見える白鳥のような演奏を作り上げることが可能だったろう。しかし遅めのテンポを最小限にしか動かさず、前奏曲にして堂々たる大建築が築かれつつあるのがわかるのである。この前奏曲で聖杯が舞い降りてくるにせよ、聖杯は大ぶりで金ピカのワイン・グラス程度だとはとても思えない。形態はきっと、映画「未知との遭遇」に出てくる、やたらに大きくて光り輝くUFOのような姿だろう。
堀内修「陽の目を見た『ローエングリン』」
~「レコード芸術」1982年12月号P256

これは、40年近くを経過した今でも十分に通用する、否、今でも一、二を争うかけがえのない超名演奏だと僕は思う。

ちなみに、ローエングリンの父パルツィヴァルが仕えた伝説のアーサー王は、妻グィネヴィアとともに、アヴァロン島に眠るといわれる。カラヤンが、最終的に「ローエングリン」の録音を終えたちょうどその頃、ロキシー・ミュージックが最後にして最高傑作アルバム”Avalon”の録音をスタートしていたという不思議な符丁。

I could feel at the time
There was no way of knowing
Fallen leaves in the night
Who can say where they’re blowing
As free as the wind
Hopefully learning
Why the sea on the tide
Has no way of turning

・Roxy Music:Avalon (1982)

Personnel
Bryan Ferry (lead vocals, keyboards, guitar synthesizer)
Andy Mackay (saxophones)
Phil Manzanera (lead guitar)

洗練された音のドラマに、そしてブライアン・フェリーの官能的な歌声に初めて聴いたとき僕は痺れた。キャッチーなメロディを持つ“More Than This”に心躍り、タイトル曲に泣いた。何よりインストゥルメンタル曲”India”と”Tara”にある郷愁と憧憬は、ロキシー・ミュージックが至った音楽的頂点の最たるものであり、ある意味ブリティッシュ・ロックのクライマックスを築く作品だと断言しても良いと思うのだ。

さて、カラヤンの「ローエングリン」を、第1幕前奏曲から再び聴いてみよう。
この聖なる音楽はワーグナー芸術の最高峰であり、また、洗練されたカラヤン芸術の最右翼である。幾度聴いても魂が震える。

 

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