
風の時代に風のホールで打楽器アンサンブル。
複雑なアンサンブルの中に、精密な人間の呼吸と鼓動が聴こえた。
太古からの人々の慣習というのか、音は、音楽は人の心を感化し、魂を浄める。
とても豊かな時間だった。
藝大生による「土着の文化・歴史・風土」をテーマにした果敢なプログラム。
今回もまた素晴らしかった。

東京藝術大学打楽器専攻生有志による
PERCUSSION ENSEMBLE
2025年2月18日(火)19:00開演
三鷹市芸術文化センター風のホール
・カルロス・チャベス:Tambuco(1964)
・カルロス・チャベス:Xochipilli – An Imagined Aztec Music –(1940)
休憩(15分)
・三木稔(ブライアン・ザトル編曲):Cassiopeia Marimbana(1982/2006)
・池辺晋一郎:雨のむこうがわで(1978)
藤本隆文(音楽監督)
本間達也・Théo Guimbard・菊池幸太郎・但馬馨・村瀬芽生・長澤莉佳・村田倫樹
小山真輝・齋藤龍・松下真奈・亀井美咲・種子田真央・徳冨遼太・松本源示
35年前、僕は初めてカルロス・チャベスを聴いた。
あの頃に比して僕の感性は随分成長したように思う。
前半の2つの作品は、極めて精緻な中に人間活動の根源を教えられる、そして音楽の真髄がここにあることを知らしめられるものだった。「タンブッコ」と「ショチピリ」。
特に「ショチピリ」は、生命活動の本懐、すなわち呼吸と鼓動を見事に表現した、地球という大地に根差した、美しくも崇高な祈りの音楽だったように思う。ずしん、ずしんと魂にまで響くパーカッション、そして、そこに呼吸を表わす、あるいは風を示す木管楽器が重なることで、生きることの楽しさと、その背景にある死というものの美しさを表現したであろう、チャベスの傑作だと知った。
音楽活動とは、イコール生命活動そのものだ。
そのことは、(学生本人たちが意識しているかどうかは別の問題だが)後半の2曲にも如実に示されていた。
三木稔の「カシオペア」は、もともとは現代筝のために書かれたものらしいが、今回はザトルによって5台のマリンバ用に編曲された版によって演奏された。マリンバの音の醸す、柔らかで優しい音にしばしうっとり(実際に僕は少々夢の中にいた)。マリンバという楽器は人を童心に還す。
そして、最後は池辺晋一郎の「雨のむこうがわで」。
楽器以外にも仏具、木材、金属、様々なものが楽器として扱われ、同時に奏者が声を発し、何重にも錯綜しながら音楽が進む中、僕は何でもない日常を夢想していた。
そこにはすべてを生かす、そもそも宇宙、大自然の運行の神秘が表現されていたのである。人の声は歓喜の音だ、あるいは快楽のそれだ。自由であり、また安心であり、あの一瞬が世界を幸福で覆い、すべてが調和に向かっているのだということを表現していた(ように僕には感じられた)。
すべては打楽器の魔法であり、人間の内なる慈悲心の成せる業だ。
大地から湧き出す土着の音の素晴らしさ。
何より作品に真摯に向き合う学生たちの姿に僕は感動した。