ベルリン

lou_reed_berlin.jpg「タグラグビー」とは何ぞや、が少しずつわかってきた。
4月21日に初めて参加してみた「スポコレ」のイベントだが、こいつはなかなか奥が深いと読み、今夜も参加してきた(といっても今回は少々事情があって見学させていただいたのだが)。

要は、瞬時に変化する自身の役割を瞬間ごとに全うし、かつチームメイトとの連携をいかにとるかに注意を払いながら、より素早く敵陣を攻めていくことがポイントだということだと僕は理解した。もちろん刻一刻と状況は変わるわけだから、一筋縄ではいかない。頭も使うし、当然体力も消費する。それに直感やコミュニケーション能力も問われるようだから、「タグラグビー」を通して学べることは大いにありそうだ。

とはいえ、やっぱりスポーツは実際に中に入ってやってみるものだということを痛感した。参加者の心のたがが少しずつ解け、十分身体が温まる頃には適度の「つながり感」がうまれるのに対して、蚊帳の外にいる自分は身体も冷え、心も寒々(寂しかったということです・・・笑)。次回はまた実際に参加して、体感的に学習させていただこうとあらためて思った次第。

ムラヴィンスキーの例の有名なチャイコフスキー3大交響曲集(DG)のEsotericによるリマスターSACDを手に入れた。まだ第5交響曲しか聴いていない(それも1度きり)が、筆舌に尽くし難い感動を得た。まるでこの音楽に初めて触れたときに感じたような新鮮味。と同時に眼前で演奏されているのかと錯覚を起こすほどの圧倒的な表現と臨場感・・・。いや、参った。いずれ近いうちに「早わかりクラシック音楽講座」で「ムラヴィンスキーのチャイコフスキー」というテーマで皆さんにお聴かせしたいと心底思った。本当にこれは凄い!!この音盤についてはいずれまた書くことにする。

ということで、先日来Peter Gabrielの最新アルバムをひがな聴いている。これまた単なるカヴァー・アルバムではなく、Peterの音楽として完全に昇華され、1曲1曲に崇高なエネルギーが注ぎ込まれ、聴いていて涙が出てくるほど美しい瞬間が多発する。特に、Peter版”The Power of the Heart”(原曲はLou Reed作)は、Gabrielが歌うことによって本当に天使が舞い降りて来そうな曲想で、繰り返し浸っていたい(まさに音浴!)と思わせる。

どうやらLou作のオリジナルは、アルバムには収録されていないようだ。2008年6月、アルバム『ベルリン』をロイヤル・アルバート・ホールで演奏した公演で、彼はこの曲をライヴの最後に演奏したらしい。そうか、『ベルリン』か・・・。初めてあのアルバムを聴いた時は正直よくわからなかった。「退廃と歓楽の都ベルリンに生まれた背徳の恋」というコピーに刺激されて購入してみたものの、音調のあまりの暗さにほとんどついていけなかった。あれから20年強。今、再びじっくり聴いてみると、僕自身が年齢を重ねたせいもあるのか、Lou Reedの味わい深いしわがれた歌声(というよりほとんど独り言のような語りだ)が身に染みる。超かっこいい!

Lou Reed:Berlin

ともかくこれは繰り返し聴くべきアルバムだ。Gabrielの“Scratch My Back”と並べて聴くとなお良し(いずれのアルバムもボブ・エズリンがプロデュースしている)。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
危険なタックルの無い「タグラグビー」は面白そうですね。フットサルなどもそうですが、こういう素人にも比較的気軽にできて、しかも奥の深い団体競技は、もっともっと広まるとよいですね。岡本さんも、ぜひ続けていただき、競技の内側からしかわからない、いろいろな発見を教えてください。
今朝は、申し訳ありませんがブログ本文の内容を無視して、サッカーの名将・名監督、イビチャ・オシム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%A0
の大量の語録より、私が印象に残っているほんの一部分だけをご紹介します。
含蓄に富んでいます。
サッカーの試合とは絶対に一人では成立しない。君たちの人生も同じじゃないか。
サッカーはひとりの人間がすべてを知っていることはあり得ません。
他人の意見も尊重するべきです。
その意見が良くても悪くても、尊重するべきです。
他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。
人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう。
夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、
現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう?
日本人は、海外のまねをするのではなく、
自分たちの持っている特長をもっと生かすべきだね。
日本の選手にそんなにマイナスのイメージを持つことは無い。
もっとポジティブに考えたらどうですか?
日本の長所は、あくせく、すばやく動き回れる点だ。
体が小さい分、ぴったり厳しいマークにつくこともできる。
日本人としての特性を、自分たちのやり方で生かさねば、もったいない。
体の大小や、肌の色など関係ない。
知恵と工夫次第では、弱点を利点に変えることもできる。
だからサッカーは、おもしろいのだ。
私には、理想とするサッカーはない。
「こういうチーム」と決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。
完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。
チームが目指すものと選手の望みは必ずしも一致しない。
金銭欲、名誉欲、勝利への渇望。
監督は選手一人ひとりの思いをしっかり把握しておくことが大事。
私は彼らが変わろうとする手助けをするだけ。
重要なことは選手に『もっとできる』と思わせること
あなたは、息子さんを「最後まであきらめずに走る子供」に育てましたか?
もしそうでなければ期待をしない方がいいでしょう。
もしそうなら、私が責任を持って育てます。
ブラジルが一番と決まっているのだったら、ほかの国はサッカーをやる必要はない。
だから、サッカーは面白いんだ。
強いと言われていても、彼らが常に勝つわけではない。
ベテランとは、第2次世界大戦のころにプレーしていた選手。
それよりも今日は中盤で攻めることができなかった。
サッカーとは危険を冒さないといけないスポーツ。
例えれば塩とコショウのないスープになってしまう。
今日唯一良かったことは、最低のプレーをした選手が全員だったということだ。
レーニンは、『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。
私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている。
肉離れ?
ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出すときに肉離れしますか?
準備が足りないのです。
私は現役のとき一度もしたことはない。
限界には、限界はありません。
限界の定義は何だと思いますか。
限界は個々の選手の目標で、
限界を超えれば、次の限界が生まれるのです。
どの選手に対しても、常に満足することはない。なぜなら、満足してしまうと成長が
止まってしまうからだ。
休み?ないよ。もっともっと練習してもらう。
どうしてできなかったのか、練習で追求することが大事だ。
日本人はシステム論議が好きらしいが、
システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。
システムの奴隷になってはいけないのだ。
無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。
大切なことは、まずどういう選手がいるか把握すること。
個性を生かすシステムでなければ意味がない。
システムが人間の上に君臨することは許されないのだ。
日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。
これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。
フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ。
日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。
コーチが本や紙を見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。
その現象を見てコーチが判断する。サッカーはそういうスポーツ。
コーチが変わらないと選手は変わらない。
(中略)創造性に欠ける指導者はヨーロッパにもいる。
そういう指導者からは、創造性に欠ける選手しか生まれない。
文化、教 育、世情、社会に左右されることはよくない。
サッカーは普遍的なもの。そして、 常に変わっていくからコーチも常に変わっていく必要がある。
残念なことに7~8日は休みを与える(笑)。
ただ、忘れないでほしいのは、休みから学ぶものはないという点。
選手は練習と試合から学んでいくものだ。
うまくいくときもダメなときがあるもんだよ。
采配が全部当たるなら、カジノに行くし競馬にもチャレンジしているよ。
とにかく、優勝できなかったのは残念だが、
人生は続くので、そのうちいい機会があるだろう。
サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。
普通の監督なら、お金がないクラブは嫌いだろう。
でも私は、自由を与えてくれるクラブが好きだ。
大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、
一日一日を大切にすること。
去年良かった選手も、今年は関係ない。監督も同じ。名前も関係ない。
昔なら、ある実績だけで成功したかもしれないが、
近代的な世界では、サッカーにおいても、人生においても、それでは成功しないだろう。
私にとってサッカーは人生だ。
サッカーは終わりがなく、新しい道を突き進む。
だから「サッカーとはこういうもの」と発展を妨げる「壁」は作らない。
心がけているのは、その点だ。
サッカーに最も必要なのはアイデアだ。
アイデアの無い人ももちろんサッカーはできるが、
サッカー選手にはなれない。
まず自分たちを信じ、そして相手を尊敬すること。
だが相手を恐れてはいけない。
日本は裕福な国だし、逆に貧しい国もある。
しかし、環境の違いはあっても、
スタジアムに来れば自分が大声を出して熱狂できるものがある。
特に、近代サッカーというものは自分の生活の次に大事な要素になりつつある。
だからこそ監督やスタッフ、スポンサー、そして観客と、
チームにかかわっている人間が一体にならなければならない。
そういう意味で私にとってはサッカーが宗教であり、
スタジアムが教会なのかもしれない。
世界中に有名な教会があって人々がそこに集まるけれど、
その数よりも有名なスタジアムのほうが知られているんじゃないだろうか。
「たなぼた」という言葉は、母国にはない。
ぼたもちが五つ見つかっても、優勝は難しいだろう。
5試合の結果がかみ合わないといけないのだから。
可能性があることは知っている。
しかし、私は現実を見て話をしている。
君たちは何か勘違いをしている。
自分だけが良い生活をして、
良い車に乗っていれば良いということは絶対にない。
サポーター・街・市原市・千葉市のためにも
最高のプレーをみせないでどうする。
アイデアが存在する間は常にアクティブになる必要がある。
同じことを繰り返すようになると人間は終わりだ。
今の私には仕事なしの状況が考えらない。
金のためではない。いつも金は私にとって重要じゃないことだ。
Yesterday is Yesterday.Tomorrow is important.
(昨日は昨日。大事なのは明日だ。)
http://www.osimgoroku.com/
ここには、生きるためのヒントがいっぱい詰まっています。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
オシム監督の名語録ありがとうございます。
ちょうどサッカー選手のメンタル面をいかに強化するかということについて勉強しないといけない状況でしたので、この機会にあわせていろいろ勉強します。これはグッドタイミングでした。毎々ありがとうございます。
あと、ムラヴィンスキーのEsoteric盤、一部だけ聴きました。
何とも自然で、鮮明、かつリアルな音像が素晴らしいですね。
第5以外を聴くのが楽しみです。

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