男は女の力なくして何とやら・・・

beatles_for_sale.jpg第43回「早わかりクラシック音楽講座」。今回はロベルト&クララ・シューマンの恋愛から結婚に至る数年を軸に、その頃それぞれが生み出した音楽を聴きながら楽しいひとときを過ごした。会の詳細は後日に譲ることにして・・・、
やはりクララ・シューマンの蔭なる尽力は凄いと認識した。この女性あってのロベルトだと(もちろんロベルトあってのクララでもあるのだが)。ご参加いただいた方の多くは、クララの作品により男性的なものと「才能」を感じられたようで・・・。クララ・シューマンが交響曲を残していたらどんなだったのだろう、そんなトピックにまで話が及び、確かにそういう事実があったとしたら、さぞかし驚異的な作品だったろうなと想像した。

今回、ふと直感して講座の最初と最後にJohn Lennonの音盤を聴いた。回を始める前に”Double Fantasy”からの抜粋を、そして終了間際に”Milk & Honey”から”Grow Old With Me”を。このデモテープをそのままリリースしたという代物が参加者の心を震わせた。さあ、これから第2の人生を夫婦一緒に過ごしていこうと誓った矢先の死。無念だったろう。


ロベルトとクララの関係をジョンとヨーコのそれに重ね合わせるのはあまりに邪道で、我ながら恥ずかしくなるほどだが、ひとりの芸術家として愛する女性の力を必要とした事実、そしてその女性の力があって最高の作品を後世に残すことができたという意味ではこの2組の生き方は近い(ように思う)。

今日はシューマンの楽曲か、せいぜいメンデルスゾーンの音楽を採り上げようかと考えていたが、気が変わった。終了後、近くのインド料理店「フリーモント」でおいしいカレーをいただきながら皆と歓談し、余計にそう思った。

Beatles For Sale

初期の名盤。”Help”や”Rubber Soul”よ
りも4人のそれぞれがぶれることなくまとまっており、まだまだJohnがイニシアティブをとっていただろうことが容易に想像できる1枚。”No
Reply”も”Rock and Roll Music”も、”Mr.
Moonlight”も、Johnの音楽はどれもがエネルギーに満ち、かつ「愛」が充溢する(厳密にはあとの2つは他人の作品のカバー。Johnはカバーで一層の力を発揮する)。

JohnにとってYokoはどんな存在だったのだろう?いなくてはならない女神のようなものだったろうが、一方で到底逃れることのできない「呪縛」としての意味を持っていたのか。自由人である彼はある時その「縛り」から解き放たれたいと想像した。一般的には単なる
「浮気」という言葉で論じられようが、当人にとってはそんな単純なものでなかったのでは。自分との「闘争」なのだ。

だからそれを察知した
Yokoはあえて別居期間を設け、Johnの頭を冷やさせようとした。お蔭で立ち直った(まともになった)Johnはそれまで以上に優れた作品、
「愛・・・云々」とはまた別の域の作品を創造するようになった。その最高峰が”Walls and
Bridges”というアルバムに昇華されるが(このアルバムをもってJohn
Lennonの最高傑作だと僕は信じる)、しばらくの休養期間を経て、新たな出発のために生み出したアルバムがこれまた凄かった。2人でひとつだと悟ったのだから・・・。当時のLennonファンの多くはブーイング。同じく僕も。その意味は最近になってようやく少しだけわかるようになったのだが(そのことについては先日も触れた)。

いずれにせよYokoとの関係が数々の名作を生み出す原動力なのである。男は女の力なくして、女の援助なくして何とやら・・・。


11 COMMENTS

雅之

おはようございます。
クララ・シューマンの作曲家としての才能は疑いようがありませんね。
>クララの作品により男性的なものと「才能」を感じられたようで・・・
というところにも異存はございません。
John Lennonの件、
>いずれにせよYokoとの関係が数々の名作を生み出す原動力なのである。男は女の力なくして、女の援助なくして何とやら・・・。
についても、まったく同感です。
・・・・・・なぜ、水木と結婚したのかと聞かれれば、いろいろと理由はあるけれど、つまるところ「私には水木と結婚する以外に道がないと思ったから」というのが本当のところです。恋愛に価値があると思っておられる方々には、これ以上の不運はないと思われるかもしれません。
 でも、私の実感では、最初に燃え上がった恋愛感情だけで、その後の人生すべてが幸福になるとは、とても思えません。伴侶とともに歩んでいく過程で、お互いが「信頼関係」を築いていけるかどうかにこそ、すべてがかかっていると思うのです。私は、どんなに苦しいときでも、水木と別れたいとは思いませんでした。
 どんな生き方を選んだとしても、最初から最後まで順風満帆の人生なんてあり得ないのではないでしょうか。人生は入り口で決まるのではなく、選んだ道で「どう生きていくか」なんだろうと、私は思います。・・・・・・
武良布枝 (著)「ゲゲゲの女房」実業之日本社 〈あとがきにかえて〉より
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF-%E6%AD%A6%E8%89%AF%E5%B8%83%E6%9E%9D/dp/4408107271/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1295821191&sr=1-1
ロベルト&クララ夫妻も、ジョン&ヨーコ夫妻も、武良布枝さんのように、「人生は、終わりよければ、すべてよしですよ」 と胸を張って言い切れるのでしょうか? 二組とも異なる意味においてですが、夫婦生活の結末が、私にとってはあまりにも「苦い」「辛い」「苦しい」です。私は、彼らの作品が大好きで、心から癒され、共感できても、彼らの夫婦生活や私生活を見習おうとは決して思いません。
これからの人生、私がお手本にしたいのは、断然、水木しげる夫妻のほうです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
「ゲゲゲの女房」、これはいよいよ僕も読まねば、と思いました。素晴らしいですね。
でも、ジョンとヨーコ、ロベルトとクララの生き方も捨てたものじゃないと思います。ロベルトもジョンもたまたま妻より先に、それも若い時期に逝ってしまったというだけで、お互いなくてはならないパートナーだったですし、それこそ2組とも決して順風満帆だったわけではありません。
まぁ、僕らが他人様の結婚生活や恋愛をどうこう言ってもしょうがないですから、これ以上の議論は成り立たないでしょうが。
とはいえ、「これからの人生、私がお手本にしたいのは、断然、水木しげる夫妻のほうです。」という考えも同感です。凡人は凡人らしい生活を、ですね(読んでないくせにといわれればおしまいですが・・・笑)。
>「貧乏には耐えられる でもさみしさは さみしさには耐えられない」
この言葉、またいいですねぇ!

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雅之

ロベルトとクララについては、それこそブラームスの問題が絡んでくるじゃあないですか? 見習いたくないなあ(笑)。
因みに、「貧乏には耐えられる でもさみしさは さみしさには耐えられない」は、オノ・ヨーコの言葉です。
芸術家として尊敬することと、私が見習いたい夫婦の話は、まったく別問題です。芸術家は独身だって作品が良ければ関係ないですし・・・。
ところで、水木しげる、武良布枝ご夫妻は、凡人だとお思いですか?

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岡本 浩和

>雅之様
ブラームスが絡んでくるから面白いんじゃないですか!(笑)
あの言葉オノヨーコのでしたか!
的を射た言葉だと思います。
>水木しげる、武良布枝ご夫妻は、凡人だとお思いですか?
この夫妻についてはまだまだよく知らないので少し勉強してからにします。
まぁ、凡人じゃないでしょうが、普通の人かもしれません。

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雅之

こんばんは。
そもそも夫婦って、人生の伴侶を幸せにするのが究極の目標じゃあないですか。
芸術家のモノサシで測れば、言っちゃあ悪いが、独身だろうが、治外法権で愛人10人作って浮気しようが、いい作品残して、いい仕事して、あとは自己満足すりゃあ、人がどう言おうと自分は幸せなんで、それでいいです。
でも、我々夫としての立場で言えば、いかなる理由があろうとも、妻や子を悲しませちゃいけない。ロベルト・シューマンは46歳で、ジョン・レノンは40歳で死んでは絶対にいけなかったんだ。アーティストとしては一流かもしれないけど夫としてはダメ。暗殺されたとか言い訳したって結果としては無責任。ダンナが死んでも女は強いものだけど、それは別問題、それに甘えちゃあいけない。
夫死亡時、クララ36歳、ヨーコ47歳、いかなる理由があろうとも、そりゃいけない・・・。
私は今49歳なので、これでは全員年下なんで見習いようがない。
愛とか恋とか言う前に、まず最低限もっと生きなきゃお話になりません。
水木しげるさん、この3月で89歳、妻 武良布枝さん79歳、
私にこの3組でどれか目標を選べと言われれば、男として生き抜く執念の差で、水木夫妻を選ぶに決まっています。人生論なんて生きることに比べればどうでもいい。
>まぁ、凡人じゃないでしょうが、普通の人かもしれません。
へぇ、そう思われておられるんですか。
でも百歩譲って仮にそうだとしても、先日「中庸」の美徳を説かれたのは、他ならぬ岡本さんじゃあないですか。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
「普通」ほど「中庸」なものはないんじゃないでしょうか。
水木夫妻は少なくとも最近までは無名に近い存在だったと僕は思います。もちろん漫画家としての水木しげるは有名ですが。
マスコミに乗れば乗るほど、ある意味滑稽になります。
傲慢でもなく、必要以上に謙虚でもなく、普く通ずる状態。実に高貴です。それこそ「0(ゼロ)」の状態なんだと思います。注目を浴びれば浴びるほど、騒がずただ見守るということも大事なのでは。もちろん水木夫妻から学ぶことは多いと思います。

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雅之

今回私は、「理想の芸術家」としてではなく、「私が見習いたい夫婦」という価値観にパラダイムシフトさせて論じています。「天動説」から「地動説」になったくらいの転換ですのでお忘れのなきよう。
>マスコミに乗れば乗るほど、ある意味滑稽になります
それを言えば、クラシックを含めた芸能界全体が成立しなくなりますよ。
晩年の、ベーム、朝比奈、ヴァントらに対する異常なほどの過熱ブームには、我々は乗っかったクチですが、「何を今更」と眉をひそめていて軽蔑して見ていた古くからの良識のあるファンも多かったわけですし、昨今の「のだめ」ブームには、日本のクラシック界の大半が便乗していたわけで、他人のことはとても言えません。まあ、私は、ほとんどの人が注目しないマイナーな趣味も多いので、どうでもいいことです。
水木しげるは、手塚治虫も嫉妬したほどの天才ですし、日本の漫画史といえば手塚と「トキワ荘」に集まった面々ばかりが語られてきたわけで、「彼らだけではないんだよ」という意味において、今回の水木ブームはバランス感覚としても間違っていないと私は思います。それに奥様の内助の功あって今日の水木さんがあるわけなので、その一般人としての、大変で、かつ非凡な長年のご苦労自体が、晩年になって注目、評価され、皆に共感と生きる勇気を与えたことは、極めて健全なことだと思いますが。
ロベルト・シューマンとの間に8人の子供を儲け、1840年代はひっきりなしに妊娠しながら、ヨーロッパを回って演奏会を行っており、大変なハードスケジュールだったクララ(現代人の感覚では非常識ですね)。長男エミールは1歳で死亡し、末子のフェリックスはロベルトが精神病院に収容されたので父の顔を覚えていなかったし、三男フェルディナントはロベルトの精神障害が部分的に遺伝したことが原因で自殺したといわれているし・・・、ロベルトは、妻子を幸せにするという夫や父としての責務を全うせず死んだと私は考えます。
バツ1で子持ちのジョンと、バツ2で子持ちのヨーコの結婚生活も、そうまでして、子供の心を傷付けてまで結婚したのに、あんな未完の結末。
重ねて申しますが、堅気の世界で生きていかなければならない私は、「見習いたい夫婦」としては、芸術家としての評価とは全然異なる尺度で判断せざるを得ません。理想の芸術家の家庭=私の理想とする家庭ではないというのが、結論です。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
もちろん、立ち位置は理解しております。
おっしゃりたいこともよくわかります。
でもロベルトやジョンが夫や父としての責務を全うしなかったかというとそうではないと僕は思うんですよね。本人の意思に関係なく2人は亡くなっているのだし、その後のクララやヨーコが不幸だったかというとそうでもないように思います。
まぁ、水木夫妻が「見習いたい夫婦」であるというのはその通りです。ただし、彼らのことをあまりよく知らないのでまずは勉強してみます。

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雅之

こんばんは。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
今回は、もうおわかりのように、いつもの私の持論とは、あえて真逆の立場から論を張ってみました。
おかげで、他人の人生や作品について、不幸だとか悲惨だとか醜いとか、そういうふうに決めつけて主張する人の気持ちが、心底よく理解できました。パラダイムシフトすれば、確かにそれも真理です。
しかし「ハーバード白熱教室」のレベルには、まだまだですか(笑)。
今回も深く学びました。感謝の極みです。
「ゲゲゲの女房」は最高です。これだけは譲れません(爆)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
こちらこそありがとうございます。
>「ハーバード白熱教室」のレベルには、まだまだですか
まだまだですね(笑)。
ゲゲゲの女房についてはこれから勉強させていただきます。

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