それは随分昔のこと。どこで聴いたのかさえ覚えていないのだが、懐かしい、大自然、否、大宇宙を描写したような管弦楽曲の旋律、というか音調が僕の頭の片隅にずっとこびりついていた。音楽に興味を持ってからその作品を事あるたびに探し回ったが、結局出逢えなかったし、今も出逢えていない。今となってはその音調の記憶すら薄れるほどで、もう一生発見することができないのだろうと諦めている。ヒントも何もない条件下で、ただ星の数ほどある無量の作品群の中から選び出すのはもはや不可能か。
かつてそのために音盤屋を渉猟した。聴いたことのない作品は、当たりをつけて手を出すもののことごとく違う。そうやって僕の音楽体験の幅は知らず知らずのうちに拡がっていった。
アレクサンドル・ボロディンの交響曲。残念ながらここにも答は見つからなかったのだけれど。本業は化学者で、自ら「日曜作曲家」と呼んだ彼の作品は、作曲を片手間に手掛けたとは思えぬ素晴らしさ。ロシア的風趣はもちろんのこと、人間的内面の機微までを音楽に投影させたその方法は、一定の年齢を超えたときにようやく理解するに至った。
交響曲第2番第1楽章アレグロは、冒頭の荒々しくも堂々たる主題に魅かれる。ロジェストヴェンスキーの棒は奔放かつ縦横無尽。喜び溢れる急速な第2楽章スケルツォを経て、第3楽章アンダンテがことのほか美しい(冒頭ホルンが吹く夢みる主題はロシア的風趣の賜物で涙が出るくらい)。ここでは指揮者の作曲家への思念が深く刻印されているようで、たっぷりと情感を込めて歌われる音楽が世界を救うようだ。そして、開放的な終楽章アレグロの逞しさ。
ところで、53歳で急逝したボロディンの未完作品は、アレクサンドル・グラズノフらが手を入れているが、7曲からなるピアノのための小組曲などは、可憐なピアノ小曲が大らかな管弦楽曲に生まれ変わっており、とても良い仕事だと思う(ロジェストヴェンスキーの指揮も洒脱でありまた脱力の極み)。
そして、歌劇「イーゴリ公」から有名な「だったん人の踊り」は、管弦楽の色合い鮮やかで、かつ音楽は外に発散しようとするエネルギーに溢れ、ロジェストヴェンスキーならでは。