
「私はもう長いこと、オリエントやユダヤを題材にしたオペラに、本物の東洋的な色彩や灼熱の太陽が欠けていることが不満だった。その思いで私は、特にカデンツァに、異国風な玉虫色の絹織物のような和声を使った。登場人物の彫りの深い性格描写のために、私は複調の手法を選んだ。ヘロデとナザレ人(ヨハナーン)の対比を描くためには、モーツァルトの天才的な方法であるリズム的描写だけでは、物足りないと感じたからだ。これはある特別な題材のための、ただ一度の実験として認められるべきであり、これを模倣することはあまり勧められない」
シュトラウスがピアノで弾いて聴かせると、父フランツは嘆息しながらこう言った。「何て神経質な音楽だろう! まるで騒々しい昆虫がズボンの中を這い回ってるみたいだ!」
~田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P160
スキャンダル! 強烈な音響に耳が眩む(?)。
たぶん一度や二度耳にしただけではこの作品の神髄はわからないかもしれない。ましてや懐古的で保守的な耳の持主だったフランツ・シュトラウスにしてみれば騒音以外の何物でもなかっただろう。
リヒャルト・シュトラウスがヘートヴィヒ・ラハマン訳のオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」に作曲したのは1903年から05年にかけてのこと。革新的で実験的なオペラは当時世間を驚かせた。フランツが神経質と評した音楽は、実に音楽的で美しいシーン多々。何より甘美な旋律にも溢れている。
この刺激的な90分ほどの楽劇に今の僕はぞっこん。中でも、ビルギット・ニルソンがタイトル・ロールを務めたショルティ盤の明朗かつ重厚な1セットは格別だ。
それまでの私は、ほとんど、深みのある重厚な威厳のある役だけを歌ってきた。だがサロメでは、人間の姿をした14歳の怪物を演じなければならない。シュトラウスが「イゾルデの声」と指定しているにしても! おまけに私の病弱な肺はそれほどの重労働にはまだ耐えられそうにないし、12分もかかる〈7つのヴェールの踊り〉は酷だった。
~ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P140
実際のところ、ニルソンにとって「サロメ」は重荷だったそうだ。しかし、いつしか「サロメ」はニルソンの当たり役となる。
1954年にストックホルムで初めてこの役に挑戦して以来、難しいベールの踊りに不安を感じて長いあいだ出演をためらった。何年もたつうちにサロメは私の当たり役となる。まるでベール自身が踊っているようだ!
~同上書P143
果たしてニルソンの「サロメ」はショルティの力量と相まって、豪快で溌溂としたものになった。
結論たる第4場、特に「7つのヴェールの踊り」以降の退廃美に言葉を失う。
サロメがヨハナーンの首を要求する際のオーケストラの爆発的音響はショルティ指揮ウィーン・フィルならでは。音楽の不気味さ、あるいはニルソン扮するサロメの執拗な官能と獰猛さ(?)にシュトラウスの天才を思う。