ブーレーズ指揮ウィーン・フィル マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調(1996.3録音)

リヒャルト・ワーグナーの未完の論文「人間性における女性的なものについて—『宗教と芸術』の締め括りとして—」には次のようにある。

私たちの目から見ても人類の退廃は明明白白である。それに対して動物の世界では、人間が強引に種の混交を押し進めている場合を除いて、まったく純粋に種が保たれている。その理由が、動物たちが所有や財産をあてにした因習的な結婚というものを知らないことにあるのは明らかである。ところで動物はそもそも結婚というものを知らないのであって、人間を動物界から引き離し、人間の道徳的能力を最高度に発展させているのが結婚であるとすれば、まさにその結婚を結婚以外の目的のために悪用することが、私たちを動物以下の次元に貶める原因になっているのである。
(宇野道義訳)
三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P388

動物は本能でのみ生殖活動を行うのであってそこに愛というものはないだろうゆえ、動物以下の次元と断定するのは危険ではあるが、人間は保身のために余分な知恵を、悪知恵をつけ過ぎたことに間違いはない。

ワーグナーが、ヴェネツィアの運河に面した3階建ての宮殿パラッツォ・ヴェンドラミン・カルレジに入ったのは1882年9月18日だった。そして彼は、その5ヶ月後の1883年2月13日、彼の地で亡くなった。上記の論文が書き始められたわずか2日後のことであった。
(客死の地がヴェネツィアであったことが興味深い)
なんとヴェネツィアとは。

ここでこの作品の中心的なアイディアとなったのは、まさしく題名どおり作家アシェンバハのリドの海岸での死の映像であろう。遊蕩的、幻想的、頽廃的、官能的なヴェネツィアがおそらくこの「死」のまわりに結晶するように一瞬にして現成したのである。
「『ヴェニスに死す』の場合は、同時結晶という言葉の真に結晶的な意味において、多くのことが同時に結晶して一つの形象を生み出したが、この形象たるや、多くの面から発する光のなかできらめきつつ、いろいろな関連のなかに浮動しつつ、この形象の生成に実際手を下して見守っていた人の眼に、夢を見る思いをさせ得るものであった。」(『略伝』)

辻邦生「トーマス・マン」(岩波書店)P173-174

マンの想像力が、ワーグナーの死に起因するものなのかどうかはわからない。
しかし、後にマンが「私は、この仕事のあいだ、以前には覚えのないような、霊妙な昂揚の感情を折にふれて味わいました」(『自分のこと』)と書くように、そういったトランス状態のなかで、そして愛すべきワーグナーの音楽の恍惚に耽りながら創造力を働かせていたのではないかと僕は想像するのだ。
小説「ベニスに死す」をひもとこう。

先祖たちはなんと言うだろう。いや、先祖たちが言うことはきまっている。かれらの生活から見れば堕落といっていいほどにかけ離れた、芸術に呪縛されたこの生活に対して、自分はかつて祖先の市民的精神にのっとって、きわめて嘲笑的な意見を公にしたことがある。とはいえかれらの生活も実際には自分の生活にきわめて近いものだったのだ。自分だって勤務したのだ。自分だって先祖の多くと同じように、兵士であり戦士だったのだ。—なぜなら芸術とはひとつの戦争だったのだから。今日ではひとが長くはしかねる闘争なのだ。自己克服と「にもかかわらず」のつらい、毅然とした、禁欲的な、彼が繊細で時代にかなった英雄主義の象徴として築き上げた生活—彼はこの生活を男らしい、勇敢な生活と呼ぶことができるであろう。そして彼には、自分を虜にしてしまったエロスの神がこういう生活にはなぜか特別にふさわしく、かつ、好意をもっているような気がした。エロスの神はもっとも勇敢な諸民族のあいだですら深く尊まれていたのではなかったか。
トーマス・マン/圓子修平訳「ベニスに死す」(集英社文庫)P102-103

まるでワーグナーが自己弁護のために吐いた告白のようだ。

ルキノ・ヴィスコンティ監督作「ベニスに死す」を観て思ふ ルキノ・ヴィスコンティ監督作「ベニスに死す」を観て思ふ

ところで、小説「ベニスに死す」で、アシェンバハのエロスの対象になったのが、少年タッジオだった。
「ベニスに死す」は、1971年、ルキノ・ヴィスコンティによって映画化されたが、そこではアシェンバハは小説家ではなく、マーラーをモデルとした作曲家と変更されていた。
全編、マーラーの音楽がひっきりなしに流れるこの映画はその美しさも相まって一世を風靡した。
映画についてヴィスコンティは語る。

ここでは私の昔からのあこがれを実現することが重要だったのだ。審美的なあこがれを持つ芸術家とその生活とのあいだに介在しうる対立、あきらかに歴史を超えたその存在と彼の中産階級市民の身分への参加とのあいだに介在しうる不調和というテーマはつねに私をひきつけてきた。このテーマに取り組むに充分な私自身の成熟の時を待っていた。
ブック・シネマテーク4「ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像」(フィルムアート社)P192

むしろワーグナーに近い思想だが、マーラーの音楽をもってして、映画の方向性が決定づけられたであろう交響曲第5番嬰ヘ短調、中でも第4楽章アダージェットの魅力。審美的なあこがれを顕すのに実に相応しい音楽だ。

バーンスタイン指揮ウィーン・フィル マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調から第4楽章アダージェット(1972.4&5収録)

世界は矛盾の中にあり、そのなかにこそ芸術創造の種子があるのだということを忘れてはならない。ヴィスコンティは映画を製作するにあたって、美の象徴たる14歳の少年役を探し回ったという。

14歳のポーランド少年、タッジオの役を演じる俳優を求めてヨーロッパ中を探し歩いたというヴィスコンティは、数千人もの候補者の中からスウェーデン生まれの15歳の少年、ビヨルン・アンドレセンを発見した。
当時、ストックホルムの音楽学校に在学し、エキストラとして映画に1度だけ出演したことがあるという彼は、5歳のとき父に捨てられ、それが原因で母親に自殺される不幸を背負っていた少年だった。だが、素顔の彼はそのことを何ひとつ感じさせず、憂い顔の美少年を期待して会見の場に臨んだ人びとは期待を裏切られた、という思いを抱くと共に、ここであらためて、虚像と実像の違いを認識させられることになったのである。
映像の中に、あたかもギリシア彫刻とルネッサンス絵画の最も美しい部分のみを抽出し結合させたような美しさを放った少年が現実にたち戻ったとき、そこにあるのは、すこしばかりのういういしさと、平凡で健康な美しさでしかなかった。アンドレセン少年は、もはや老芸術家アシェンバッハを魅了する美しきタッジオではなく、熱し易くさめ易い女学生のアイドルにすぎなかったのだ。

(渡辺祥子)
~同上書P202-203

現実と虚構は差があって当然のこと。
むしろ正反対のものでなければならない。

・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1996.3録音)

僕がマーラーのこの曲の真意をようやく掴むことができた名演奏。
余分なものが一切放下された、筋肉質の、全編見通しの良いマーラーは幾度聴いても疲れない。

しかし、そうかといってただ軽薄な演奏ではないのがミソ。
何という深み、何という憧れ、そして支離滅裂だと思われていた構成に完璧な均衡を与えたとさえ思える演奏に僕は目から鱗が落ちた。

少年タッジオを演じたビヨルン・アンドレセンが2025年10月25日、70歳で逝去した。
そうか、まだ存命だったかとただ思った。

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