
バッハの時代にあっては、作品がいつどんな目的で書かれたものかわからない場合も多々ある。現存の、極めて頻繁に演奏機会を持つ作品などは、結果的にバッハの選択が正しかったとするものも多く、どの楽曲をどのように束ねて出版するか、あるいは献呈するかも作曲家の腕の見せどころだった。
ブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒ殿下に捧げたてまつる。殿下、2年前(? une couple d’années)御下命により殿下の御前にて演奏申し上げる光栄に浴し、かつその折、小生に天より与えられたささやかな楽才を殿下がお悦び下さったことを知りました。さらに御前を退出します折、殿下は恐れ多くも小生の作になるいくばくかの曲をお捧げ申し上げるようにと御下命の栄をお与えくださいました。よっていと恵み深き御下命にしたがい、ここに添えました協奏曲により、殿下に対して謹んで小生の敬意を表させていただきます。
・・・いと卑しく、いと恭順なる僕ヨハン・セバスティアン・バッハ ケーテン、
1721年3月24日。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ」(音楽之友社)P30
300余年前の、残された恭しい献呈文が当時の情況と、バッハの自作への深い思いを伝えてくれる。
その昔、ピリオド楽器による演奏を初めて聴いたとき、痺れた。
近代オーケストラによる重厚な演奏になれていた耳に衝撃が走った。
 ピノック指揮イングリッシュ・コンサートのバッハ ブランデンブルク協奏曲集(1982録音)を聴いて思ふ
   ピノック指揮イングリッシュ・コンサートのバッハ ブランデンブルク協奏曲集(1982録音)を聴いて思ふ    トレヴァー・ピノックの「ブランデンブルク協奏曲」を聴いて思ふ
   トレヴァー・ピノックの「ブランデンブルク協奏曲」を聴いて思ふ  ピノック指揮イングリッシュ・コンソートの録音を当時僕は繰り返し聴いた。
あの録音はもちろん僕にとって今でも大切なものだけれど、その後に出会った録音に僕は一層の刺激を受けた。
久しぶりに耳にしたアンドリュー・パロット指揮タヴァナー・コンソート&プレイヤーズの録音に、バッハの自然体の信仰告白を思った。
明らかにブランデンブルク辺境伯への感謝の念。
ここにいわゆる「学究色」は皆無。
音楽はひたすらに喜びに溢れる。
実に美しいブランデンブルク協奏曲集。
名高い作曲家となった息子のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハは、バッハ家の誰もが「あらゆることをまっさきに宗教と結びつけるのが習わしだった」と語っている。日常のどんなありふれたことでも、信仰と無縁に思えるものは何一つなかった。この習慣は喫煙を題材にしたバッハのおどけた詩に姿を現しており、こんな具合に終わる。
「大地にあろうと、海原にあろうと、
本国にあろうと、外国にあろうと、
私はパイプをくゆらし、神を礼拝する」
その信仰観において、バッハは音楽を聖なるものと世俗のものとに区別しなかった。
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P20-21
ジャケットの絵画は、オランダの画家メルヒオール・ドンデクーテル作の「くじゃくとあひる」。
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