
ブルックナーは「神との対話」のために教会音楽を作曲し、「人間との対話」のために交響曲を作曲したのである。ふたつの相異なる世界は、アントン・ブルックナーという強い個性の中でひとつとなり、神に向けられた深い敬虔さから告解もするが、世界に開かれた心情からも語りかけるのである。このふたつはわたしたちに強い言葉で語りかけ、どちらもわたしたちは、巨匠が考えたとおり、神から与えられたものは教会の空間、そして人間に贈られたものは世俗的な空間において受容することができるのである。
「教会音楽と交響曲のはざまに」
~レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P49
ブルックナーが意識したのかどうかはわからないが、そもそも聖俗混淆である真実、つまり先天も後天も本来は一つであることを常に追究し、それを音楽に転化していくことを考えた人だったのだろうと思う。
しかし、時はまだまだ宗教を超えることのできない時代であり、彼が思うような成果は望むべくもなかった。
ブルックナーの交響曲がこれほど世界的に聴かれるようになったことを、彼は今、どう思うのだろう?
コンサート会場で敬虔に表現されようと、あるいは各人のオーディオ装置でどれくらい精緻に再生されようと、ブルックナーの心そのものはなかなか音化しにくいものだろうと、ずっと僕は思っていた。つい最近までは。
当たり前のことだが、すべては受け取り側の心の器に左右されるのだということをあらためて悟った。つまり、同じ音盤でも40年前に聴いたのと、今聴くのとではまったく伝わるもの、感じとるものが違うのだ。
・ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(1877年稿/ハース版)
ギュンター・ヴァント指揮ケルン放送交響楽団(1981録音)
1871年10月11日から翌72年8月10日にかけ書かれた、交響曲作家としての階段を二足跳びに駆け上がった傑作。ミサ曲第3番ヘ短調からの引用は、第2楽章(ベネディクトゥスとアヴェ・マリア)と終楽章(ベネディクトゥスとキリエ・エレイソン)にみられるが、それこそ聖俗を一体とみなそうとしたブルックナーの本懐の表れだと思う。
ヴァントの演奏にはブルックナーへの尊敬の念がある。
大らかな表現の中に、細部への精緻さが垣間見られ、その音宇宙に安心して身を委ねることができるのだ。
結局『第2番』は、曲の長さや休止の多さが災いし、演奏不能として一旦は退けられた、そしてそれは翌年の秋、ヴィーン万博のアトラクションとして初演の機会を得る。
P105
金融恐慌のまっただ中、ヴィーン万国博は諸外国の援助を受けて続行された。ブルックナーの『交響曲第2番』は、万国博の閉幕を飾る10月26日のコンサートで、作曲者自身の指揮により初演された。
P105-106
「あらゆる父親が、我が子のために最良の居場所を探すように、こう申し出ても咎め立てはされますまい。この作品を貴兄諸氏に献呈することを、お許しいただけますでしょうか?」
だがヴィーン・フィルはこの提案に関心を示さなかった。この作品は10年ほど後に、リストに捧げられようとしたが、この試みも実を結ばなかった。こうして『第2番』はブルックナーの交響曲中ただ1曲、献呈先を持たない孤児となった。
~田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P106
アントン・ブルックナーの未来音楽は、それほど斬新だったということだ。





