
時代の変遷と共に祈りの形は変わる。
しかし、信仰そのものは不変だと思う。
かつて秘宝とされたものが、ついに公開になったとき、末世の、禍多き世界が目前に迫っていた。
バッハは明らかに、深く個人的な信仰を持っていた。実際、彼にはまず霊的な確信があり、それを取り巻いて生涯のすべてが営まれていたように思える。ある伝記作家はこう述べた。「彼の感動的な人生の中心には、疑いなく、信仰そのものと、音楽を通しての信仰に関わる活動とがあった」。
現存する手紙にも、その熱い信仰に触れた箇所は数多く見出せる。大人数の家族に抱いていた愛情は、一人の息子について書かれた悲痛な手紙に明白に示されている。その息子は過ちを犯して多大な借財を背負い込み、町を逃げ出さなければならなかった。「わたくしはこれ以上、なにを言い、なにをしたらよいのでしょうか? どんな忠告も、どんな心づかいや援助も、もはや役に立たない今となっては、わたくしは十字架の苦しみに耐え、できそこないのわが子を神の慈悲に委ねるしかございません。そうすれば、神は必ずやわが悲しみの祈りをお聞きになり、ついには、その聖なる御意志によってわが子を導き、ただひとえに神の恵みだけが正しい道を教えるのだと、彼に悟らせてくださるでありましょう」。
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P20
宗教の限界というものがここにはあろう。
神にすがったところで、息子は更生しない。
なぜならすべては因果律の中に起こっていることだからだ。
業という働きは、蒔いた種は必ず回収されるという原因と結果という真理の中に示されている。親子といえど、こればかりは本人が責任を取るしかないのである。
ならば本人が目覚め、そして徳積みを励行すること。かの時代にあっても、術はそれしかなかったといえる。
(厳密にはバッハの時代、容易な方法はなかったのだが)
西欧諸国の多くにあってキリスト教の教えがすべてであった時代においては、バッハのその祈り(?)は一般的だったと思う。せめてその思いをバッハは音楽に託した。
毎週のように生み出したカンタータの壮観。
仕事とはいえ、それぞれのあまりの素晴らしさに感激する。
バッハが三位一体節の主日に創作したカンタータから。
粒揃いの歌手陣こそバッハの信仰心を形にした立役者だ。
それでもカール・リヒターのバッハに向き合う精神はいつも変わらない。
悲痛な叫びがあれば、安寧の囁きもあるバッハの書法を見事に音化するオーケストラと合唱、そしてソリストたちの力量の素晴らしさ。
50年近くを経過した今でも音盤史に燦然と輝くリヒターのカンタータ集に拝跪する。
(70数曲すべてを聴き通し、ものにするにはおそらく一生かかっても無理ではないかと思うほど奥深い)

