
「自分の音楽スタイルの起源」に話を戻すが、要するにアーノンクールから学んだのは彼の「アタック」なのだ。それが私の音楽言語のベースになっている。「アタック」とは、音を発音する際、アーティキュレーション、筋力のエネルギーを使って解き放つ技術に他ならない。指揮者はジェスチャー、弦楽器奏者は運弓、管楽器奏者は息、打楽器奏者はマレットを用いる。アタックは全ての偉大な指揮者を特徴づけるものだ。トスカニーニ、ライナー、フルトヴェングラー、シェルヘンしかり。
~マルク・ミンコフスキ著/アントワーヌ・ブレ編/岡本和子訳/森浩一日本版監修「ある指揮者の告解」(春秋社)P20-21
マルク・ミンコフスキはアーノンクールに打ちのめされ、多大な影響を受けたという。
のめり込んだとはいえ、彼にとってアーノンクールは神だとはいえ、あくまで彼は自らを主体にし、自らを生きる音楽家だ。

だいぶ前、彼の実演に触れたときも衝撃を受けた。
(音楽は生に限る)
もちろんその前にいくつかの音盤に触れ、感心していたからだが。



そのミンコフスキが、若き日の興味深いエピソードを披露していた。
『エイシスとガラテア』はヘンデルのオペラだ。客席には、フランソワーズ・エール声楽アンサンブルの合唱団員だったジャンとアニー・ドゥレトレも座っていて、終演後、当時19歳だった私の人生を大きく変えることになる、一生忘れられないオファーをしてくれた。「今夜の公演を聴かせてもらって思ったのだけれど、うちで制作しているパーセルの歌劇『ディドとエアネス』を指揮しない?」
知っている作品だったし、家には両親が買い集めた録音が色々あった。とくに印象に残っているのがワーグナー歌手のキルステン・フラグスタートの録音だった。現代の趣向には全く合わない歌唱だが、彼女が歌うアリア『ディドの死』には胸を打たれた。
~同上書P31-32
確かにフラグスタートの歌うパーセルのアリアは深い。
そして、ミンコフスキの方向性とは真逆の、時代がかった解釈だ。
しかし、芸術は形を超え不変であり、不滅であることを教えてくれる。
ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」は(ある意味)フラグスタートの歌唱をもって頂点として良いものだろう(涙なくしては聴けぬ絶唱)。そして、「マタイ受難曲」からアリア「憐れみ給え、わが主よ」の深遠さ。魂までをも震わせる名唱ここにあり。
そして、ミンコフスキが忘れられないというパーセルの「わが今わの際にも」のあまりの美しさ。フラグスタートは、グルックの「エウリディーチェなしに」とあわせ、生の儚さと死の純白さを見事に表現する。

今年はキルステン・フラグスタート生誕130年。