アンドラーシュ・シフのバッハ「6つのパルティータ」(2007.9.21Live)を聴いて思ふ

ヴァイオリニストの塩川悠子さんのバッハにまつわるエッセイ「尊い使命のあかし」に次のような箇所がある。

そしてバッハのヴァイオリンのためのソロ・ソナタ、パルティータの自筆の楽譜があるのを本当に有難く思います。バッハのペンを追っていると、音楽がこうでしかありえないというように、最も自然に、シンプルに感じられてくるのです。そんな時、これもまた先の本に出てきたエピソードを思い出します。バッハがある時、自分のオルガンの演奏を聴いた弟子がその素晴らしさに余り驚嘆するのをたしなめるように、「何も驚くにはあたらない、ただ正しい譜を正しい瞬間にたたけばいいだけだ、後はオルガンがしてくれる」と言った話です。これこそ演奏において一番むずかしいことではないでしょうか。
樋口隆一著「カラー版作曲家の生涯―バッハ」(新潮文庫)P118-119

「最も自然に、そしてシンプルに」という表現に膝を打つ。
音楽とはそうでなくてはならないのだとあらためて思う。

塩川さんの現在のご主人はアンドラーシュ・シフだが、彼の弾くバッハも実に音楽が自然に流れ、あくまでシンプルに美を追求したものだといえる。例えば、「6つのパルティータ」の旧い方の全曲も素晴らしいが、満を持して再録された新しい方は、一切の混濁のない、一層抜けた清澄さを獲得する名演奏。何よりこれが聴衆を前にしたライヴ録音であることの奇蹟。

古典舞曲の形式をとるとはいえ、ひとつとして同じ様相を持たない、バッハの多様性を示すこれら6つの傑作は、いずれもが舞曲を超えるという意味で極めて精神性の高い音楽たち。誰のどの演奏で聴いても筆舌に尽くし難い思いを喚起させられるのだからすごい。

J.S.バッハ:6つのパルティータ
・パルティータ第5番ト長調BWV829
・パルティータ第3番イ短調BWV827
・パルティータ第1番変ロ長調BWV825
・パルティータ第2番ハ短調BWV826
・パルティータ第4番ニ長調BWV828
・パルティータ第6番ホ短調BWV830
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)(2007.9.21Live)

第6番ホ短調、長大な第1曲トッカータの峻厳さ。また、第2曲アルマンドの懐かしさ。
300年近くの時を経て、ついに理想的な演奏に出逢ったかのような喜び。四角四面の方を持ちながら、どこか自由で自在な表現は、バッハの本懐。それこそシフは「知っていた」のだと思う。
何より第5番ト長調第1曲プレアンブルムの軽快な舞踊に心動き、第2曲アルマンドの優しい響きに癒される。バッハの世俗音楽にこそある崇高な祈りは、雅な精神の発露であろう。シフのピアノが弾け、歌う。

バッハを「小川(バッハ)ではなく大海(メール)」と呼んだのはベートーヴェンだった。バッハBachというドイツ語が「小川」を意味することを踏まえた彼一流のウィットだが、バッハの芸術の偉大さを想うと、なかなか含蓄のある比喩である。
~同上書P9

素晴らしい。

 

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