調子のよい鍛冶屋

冷えた身体を正すために、ここのところ毎週のようにとある整体に通っている。整体といってもいわゆる普通のそれではない。頭の先から足のつま先までをしっかりと時間をかけて調整してゆくというもの。中でもポイントは呼吸と顔、頭、そして体軸である。僕の場合、肝臓を守るために身体が右に、そして腎臓を守るために後ろに重心がかかってしまっているという。確かに慢性的に腰が重かったのだが、何と意識して姿勢を垂直にするよう心がけることで随分軽くなってきた。それと眼の動きも影響を与えるらしい。眼球や口腔までをも調整してもらい、みるみる状態が良くなってゆくのがわかる。

何より今日は小1時間びっくりするくらい気持ちが良かった。先生曰く、ここのところ熟睡できてないようですねと。僕の感覚では人一倍眠っているように思うのだが、確かに寝覚めはそれほど良くない。少し調整してもらいながら横になっていると意識が遠のく中で先生の声が遠方から聞こえ、無意識に会話をしているような不思議な感覚に襲われた。パーフェクトな瞑想状態という感じ・・・。

久しぶりにヘンデルを聴いている。J.S.バッハに相当のめりこんだ僕も、ヘンデルの音楽についてはまだまだ。このところバロック音楽や中世・ルネサンス音楽についてもっと時間をかけて勉強をしてみたいという欲求に駆られ、時間が限られている中で効率的に聴き込んでいきたいと思っているところ。何より作曲家自身のことについてほとんど無知ゆえまずは伝記類などをざっと読んでみるか・・・。ちなみに、ヘンデルがチェンバロ作品において影響を受けた作曲家はドメニコ・スカルラッティらしい。オルガンとチェンバロによる両者の有名な弾き比べが行われたのは1708年、300年以上前のことである。スカルラッティはヘンデルのオルガンの技量に感銘を受け、一方ヘンデルはスカルラッティのチェンバロの見事さに感嘆の声を漏らしたという。

ヘンデル:チェンバロ組曲集
イゾルデ・アールグリム(チェンバロ)

J.S.バッハのクラヴィーア作品とは似て非なるヘンデルの組曲。頭で考えない、ストレートに感情に訴えかける音楽は、まさに「遠くから聞こえ、無意識に会話をしているような不思議な感覚」を呼び覚ましてくれる。

ところで、第5組曲の有名な「調子のよい鍛冶屋」を聴いて驚いた。こんなに素敵なヴァリエーションだとは思ってもみなかったから(あまりにも有名過ぎてこれまでいい加減に聴いていたのかも)。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

古くて新しい話題なのですが、「地球温暖化論のウソ」については、
調べれば調べるほど面白いですね。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6fbd1d3a0759bd65df11dc4a2d11ea5e
(他 関連サイト多数)

「エネルギー資源の可採年数」についても面白いです。
例えば、関西電力のホームページでは、
http://www.kepco.co.jp/bestmix/contents/03.html
石油=たった42年(2008年末時点)、
ウラン=たった100年(2007年1月時点)であり、
「プルトニウムの利用により、ウランは数倍から数十倍利用年数が延びます
(高速増殖炉での利用を含む)」のだそうです(失笑)。

あらゆる面で危険極まりない高速増殖炉の実用化を断念してもしなくても、
放射性廃棄物の地層処分場は、
今でも滋賀県余呉町にするつもりなんでしょうか?
 「ふざけるな」と言いたいです。
関電も、今さら、「石油資源は、本当は無尽蔵らしい」なんて言えませんよね(笑)。

申すまでもなく、
ヘンデルの時代、照明にも暖房にも冷房にも、電気は使っていませんでした。
そんな古き良き時代の演奏会に思いを馳せながら、
ご紹介の盤のチェンバロ演奏を、私も久しぶりに聴き直してみたくなりました。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
今回ご紹介いただいている「地球温暖化論のウソ」について、なるほどなぁと思います。
わかっていても真実は世の中に知らされないということですよね。
まさに「不都合な真実」です。

電気のない生活というのは想像つかないですが、確かに300年前は蝋燭でしたからね。
進歩とは一体何なんでしょう・・・?

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