春のヴィヴァルディ

昔、友人が慶応義塾のマンドリン・クラブだか(ワグネル・ソサエティの関係だったかな・・・?)に所属しており、どこのホールだったかはすっかり忘れてしまったが、一度だけコンサートに行ったことを、ヴィヴァルディを聴いていて思い出した。その時はモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲やロッシーニの序曲などが披露されたと記憶するのだが、どれもが素敵な編曲で、マンドリンという楽器の生音に初めて触れ、しかもそれが合奏だったものだから少しばかり感動したことを昨日のように思い出す。

ギターやマンドリンという楽器は現代のオーケストラと協奏するとなると、音量的バランスが悪いので実演向きではないように思うが、マンドリンとベースだけのオーケストラだとこんなにも軽快で迫力のある演奏が可能になるということが当時の新発見で、その後何枚かマンドリンにまつわる音盤を購入して、聴き漁ったことも昨日のよう。本当ならもう少しチャレンジしてマンドリンを始めるくらい(せめてギターでも)の根性があればなお良かったのだが、残念ながらその時の僕にはその勇気、否、意識がなかった(苦笑)。

さすがに4月も半ばになると暖かい。夕方、講義から帰ったらサロンでは「ホームページ制作勉強会」が開かれていた。その後夜は特別「お茶会」。桜にまつわる歌を詠みながらお茶をたてていただき、皆で味わい、その「雰囲気」を堪能した。佐々木先生、ありがとうございます。

ヴィヴァルディ:
・2つのマンドリンのための協奏曲ト長調P.13
・マンドリン協奏曲ハ長調P.134
・協奏曲ハ長調P.16
・ヴァイオリンと2つのオーケストラのための協奏曲変ロ長調
・ヴァイオリン協奏曲RV552
・ヴァイオリン協奏曲ハ長調RV581
ボニファチオ・ビアンキ、アレッサンドロ・ピトレッリ(マンドリン)
ピエロ・トーゾ、ジュリアーノ・カルミノーラ(ヴァイオリン)
クラウディオ・シモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネティ

ヘンデル同様、ヴィヴァルディについてもまったく勉強不足。一部の有名な作品を少しばかりかじっている程度でその人物像や背景、作品の成立事情などについてはあまりよく知らない。基本的にどの作品を聴いても「同じような」という印象しかないものだから、ほとんど深入りしてこなかった。とはいえ、J.S.バッハ以降のドイツ音楽につながる「種」は間違いなくヴィヴァルディをはじめとする当時のイタリアの作曲家の中にありそう。

春にはヴィヴァルディが似合う。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ヴィヴァルディ(1678年3月4日 – 1741 年7月28日)が生きていたころ地球は、典型的な「小氷期」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B0%B7%E6%9C%9F
であり、太陽活動が極端に低下した時期、世界各地で火山活動が活発化した時期と重なり、とても寒かったようですね。

・・・・・・小氷期の中頃の1645年から1715年にかけては太陽黒点が示す太陽活動は極端に低下し、太陽黒点が全く観察されない年も複数年あった。太陽黒点活動が低下したこの期間は、マウンダー極小期として知られている。太陽黒点活動の低下と気温の寒冷化を結びつける明確な証拠は提示されていないが、小氷期の中でも最も寒さの厳しかった時期とマウンダー極小期が一致する事実は因果関係の存在を暗示している。この期間における太陽活動の低下を示す他の指標としては、炭素14とベリリウム10の存在比が挙げられる。・・・・・・

・・・・・・小氷期の全体にわたって、世界各地で広範な火山活動が記録されている。火山が噴火した時にその火山灰が大気上層に達し、地球全体を覆うように広がることがある。この灰のベールが日射をある程度遮り、噴火後2年にわたって全世界の気温を引き下げる。さらに火山ガスの成分であるSO2が噴火の際に大量に放出されるとこのガスが成層圏に達したときに硫酸の粒子に変化し、太陽光線を反射して地表に届く日射量をさらに縮小させる・・・・・・

・・・・・・小氷期の間、世界の多くの場所で厳冬がもたらされたが最も詳細な記録が残っているのはヨーロッパと北アメリカである。17世紀半ば、スイス・アルプスの氷河は徐々にその版図を低地へと広げ谷筋に広がる農場を飲み込み村全体を押し潰していった。氷河が河川を塞き止め、決壊による洪水に襲われた村も多い。テムズ川やオランダの運河・河川では一冬の間完全に凍結する光景が頻繁に見られ、人々はスケートや氷上縁日(フロスト・フェアー)に興じている。1780年の冬にはニューヨーク湾が凍結し、マンハッタンからスタッテンアイランドへ歩いて渡ることが可能であった。アイスランドでは海氷が何マイルにもわたって島を取り囲んで長期間に渡って港湾を封鎖し、漁業や交易に打撃を与えた。

この厳冬の到来は、大なり小なり人々の生活に影響を与えている。飢饉が頻繁に発生するようになり(1315年には150万人もの餓死者を記録)、疾病による死者も増加した。アイスランドの人口は半分に減少し、グリーンランドのバイキング植民地は全滅の憂き目を見た。小氷期の影響は、この時代の芸術にも見ることができる。例えば、フランドルの画家ピーター・ブリューゲルは往時の村落を多岐に描いているがその多くは雪に覆われた風景を呈している。

日本においても東日本を中心にたびたび飢饉が発生し、これを原因とする農村での一揆の頻発は幕藩体制の崩壊の一因となった。・・・・・・

なお、ヴィヴァルディは、ストラディバリ(1644年 – 1737年12月18日)の生きていた時期と重なります。前にもご紹介しましたサイト
http://wiredvision.jp/news/200807/2008070720.html
から再度・・・。

・・・・・・3次元撮影のX線写真により、ストラディバリのバイオリンで使われている木材は、中の密度が驚くほど均一になっていて、木が成長して季節ごとに刻まれる年輪による木目の幅の違いがほとんどないことがわかった。

木の成長は、夏の方が冬よりも速いのが普通だ。冬にできる年輪の幅は狭くて密だが、夏は水分の吸収が良いため、年輪の幅は、冬に比べて広くなる。こうした年輪の幅の違いは、木材を楽器にしたときの音の質に影響する。

ストラディバリにとって幸運だったのは、彼が生きていた時代が小氷期だったことだ。[小氷期は、14世紀から19世紀半ばまで続いたという寒冷な期間。太陽活動の低下や活発な火山活動が原因とされる。

小氷期には、木の成長速度は夏も冬もほとんど変わりがなかった。そのために密度が均一な木材ができ、それから3世紀もの間、ストラディバリウスの音色の謎を解き明かそうとする専門家たちの頭を悩ませることになったわけだ。・・・・・・

ご紹介の録音のCDは、たしか1985年頃、内容的にも録音的にも高評価だったのを雑誌で読み、買ってきて聴き楽しんでいたことを思い出しました。ここでのマンドリンは、とても美しく魅力的です。以後、シモーネたちによるヴィヴァルディ演奏の音盤については、ずっと信頼し続けています。

>春にはヴィヴァルディが似合う。
「小氷期」に生きたからこそ、春が似合う音楽を書きたかったんでしょうね、
ヴィヴァルディは・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
音楽が生まれた背景、土地や人間についてもそうですが歴史的状況を明確に把握することが重要だということがあらためてわかりました。ありがとうございます。
先日、岡田暁生氏の「西洋音楽史」を読んでそう感じたことは書きましたが、今回の雅之さんのコメントを読ませていただいてさらに実感いたしました。その時代のその場所でなければ生まれ得なかった芸術作品を享受するのに、様々な「事実」を知らないと本当には理解できないですよね。毎々勉強になります。

>「小氷期」に生きたからこそ、春が似合う音楽を書きたかったんでしょうね

そういうことなんでしょうね。

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