クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管のモーツァルトK.319(1973録音)を聴いて思ふ

mozart_symphonies_krips126天才も人間関係に苦しんだ。
でも、彼には音楽があった。

名誉にかけて誓って申しますが、ぼくはザルツブルクとその住民(生まれながらのザルツブルク人のことですが)が、我慢がなりません。あの言葉や生活態度が、たまらないのです。・・・さて、手っ取り早く申します。信じて下さい、ぼくはお父さんや姉さんを早く抱擁したくて、たまりません―ただそれがザルツブルクでさえなかったら。でもこれまでのところ、ザルツブルクへ行かなければお目にかかれないのですから、喜んでまいります。
(1779年1月8日付、ミュンヘンより在ザルツブルク父レオポルト宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」(岩波文庫)P222

この録音を聴いて、僕は変ロ長調交響曲K.319の神髄が身に染みてわかった(なぜムラヴィンスキーカルロス・クライバーが好んでレパートリーにしたのか)。
何て魅力的な音楽なのだろう。
何て愛情に溢れる音楽なのだろう。

ザルツブルクでの最後の2年間は、どれほど辛抱ならない都市での生活であったとしてもモーツァルトにとっていろいろな意味で意義ある年月だったということ。確信的な、堂々たる音調の中に秘める優雅さと革新。
何と第1楽章アレグロ・アッサイには(この時代にしては珍しくも)「反復」の指定がない。そのことがこの作品をより可憐に、また簡潔な印象を与えるのだが、ヨーゼフ・クリップスの指揮は、音楽がとても自然に流れ、特に展開部の「ジュピター音形」登場の場面など思わず声を上げたくなるほど陰翳の濃い、苦悩も愉悦も、たくさんの感情がいっぱい詰まったもの。見事である。
続く第2楽章アンダンテ・モデラートの、後期の緩徐楽章を髣髴とさせる悲しみ。とりわけ、弦楽器による第1主題の静かな哀感に涙を禁じ得ない(23歳のヴォルフガングは何を想うのか?)。何よりクリップスの感情移入の奥深さ。
そして、後に追加されたといわれる第3楽章メヌエットの短くも悲しい美しさ。主題は明るく跳躍し、一方トリオは暗く地を這うよう。
さらに、終楽章アレグロ・アッサイの長閑で魅力的な調べ、あるいはコーダに向かって突き進む音楽の流れに(一瞬表情を曇らせつつも明るい)心動く。

モーツァルト:
・交響曲第30番ニ長調K.202(186b)
・交響曲第33番変ロ長調K.319
・交響曲第34番ハ長調K.338
・交響曲第33番変ロ長調K.319~リハーサル
ヨーゼフ・クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1973.9録音)

ちなみに、この全集には変ロ長調交響曲のリハーサル(25分半に及ぶ)が付いているが、クリップスの丁寧で優しい(しかし時に激しい)口調、そして鼻歌混じりにいかにも興に乗るその姿勢が音楽に直接的に反映される様子、今ここで音楽が生み出される様子を詳細に感じることができる。
例えば、第1楽章展開部で「クレッシェンド!」と唸りながら指示を出した瞬間に音楽に現出する生命力!!(なるほど舞台裏をのぞく価値はこういうところにある)
あるいは、繰り返し練習される第2楽章冒頭弦のテーマに感情が込められてゆくシーン。ここでのクリップスの指示は極めて丁寧で、実に興味深い。

変ロ長調交響曲K.319は真に名曲だ。
名指揮者の腕にかかるとどんな音楽も途端に生命力を帯びる。
何て温かい、何て可憐な音楽なのだろう。

 

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