もう10年近く前になるけれど、書店で見かけた「死刑執行人サンソン―国王ルイ16世の首を刎ねた男」という新書が妙に気になって、購入、一気に読んだことがあった。
シャルル=アンリ・サンソンというサンソン家の4代目当主で、フランス革命期の死刑執行のほぼすべてに関わったといわれる人間。ルイ16世も、そして王妃マリー・アントワネットも彼によって処刑されているのだが、実にシャルル=アンリは王党派であり、しかも死刑制度反対論者だったという点が頗る興味深い。そんな人が結果的に王を裁き、しかも人類史上2番目に多く死刑を執行したというのだから皮肉なものだ。
自身の想いと現実と。
しかし、そこには見えない、そして科学的には説明不能な「業」というものが絡んでいそうだ。自身の意志でない、思いも寄らない方向に歴史は動いてゆく。良かれ悪しかれそれが運命だと定義すればその通りなのだが、それにしても未来というのはまったくわからないものだ。
ところで、これまでヨーゼフ・ハイドンについてはモーツァルトやベートーヴェンに比較して意識的にではないにせよ軽んじる自分がいたことは確か。しかしながら、フリーメイスンについての興味から派生し、あらためていろいろと聴き返すに及んで、実に駄作のない、極めて天才的な仕事をした人だということを確信し、ようやく少しずつ勉強し直そうと考えるようになった。他の作曲家と違い、ハイドンの人生の中での金銭的な苦労は少ない。若い頃から一定の地位も保証され、功成り名を遂げてからは様々な方面から委嘱を受け、一層音楽的高みに達していった。特に、1780年代以降に創作された作品はいずれもが挑戦的で革新的、その上、メロディアスで一部の隙もない。まさにシンプルでありながら深い、そんな印象を受ける。
フランス革命前夜、そしてフランス革命の最中。ハイドンもモーツァルトも、そしてベートーヴェンもそういう歴史の中に存在していた。しかし、フランス王国に直接関わったのはハイドンだけか?(いや、モーツァルトもマリー・アントワネットとの幼少時の有名な話―すなわち、6歳のモーツァルトがマリア・テレジアの前で御前演奏をしたとき、当時7歳のアントワネットに助けられ、その際「僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったという話があるくらいだから関係がなかったとはいえない)
ハイドンがコンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックからの依頼を受け、作曲したパリ交響曲と呼ばれる6つの交響曲集を抜粋で聴いた。特に、先のマリー・アントワネットがお気に入りだったらしい変ロ長調の1曲を念入りに。
1785年に作曲されたという第85番のシンフォニーは、当時の典型的なイディオムによって構成されている。ロジャー・ノリントンがハイドンの交響曲について次のように語るのを読み、なるほどと納得した。
この頃までにハイドンは新鮮でウィットに富んだ、大規模な作曲スタイルを確立しており、4つの楽章には独自の個性を持たせていた。
第1楽章は「動」、第2楽章は「歌」、第3楽章は「ダンス」、そしてフィナーレが「笑劇」だと考えられる。
お見事。
「王妃」交響曲は、若い時分に放蕩とわがままの限りを尽くしたマリー・アントワネット好みの気品に満ちている。(マリー・アントワネットだってそういう反面、特に子どもができてからは実に物わかりよく、言動も立派なものだったらしいから結果的に若くして処刑されたことは歴史の皮肉としか言いようがない)
モーツァルトが貧困に喘いでいたであろうあの頃(いや、この頃はまだ絶頂期だったか)、ベートーヴェンはまだ故郷ボンにいて、アルコール中毒症である父親の面倒を看るために懸命に働いていた。一方のハイドンは悠々自適生活。そのことだけを捉えてみても実に面白い。
それと、若い頃ハイドン演奏はフルトヴェングラーやワルター、あるいはクレンペラーらのロマンティックで重厚な表現を好んだが、歳をとったせいかピリオド演奏の爽快感が実に堪らない。見通しが良いことと、当時の人々の気持ちが何だかよくわかる気がするのが何より。