愛しの地球

軸をぶらさず地に足をつけてしっかりと立っていれば、たとえどんな障害や横槍が入ろうとも物事はうまく進んでいく。これは人間誰もが生きていく上での絶対の法則みたいなものだろう。
昨日17年ぶりのメンバーたちと再会の祝杯を交わした(ただの「忘年会」なのだが)。あの頃僕はまだ26歳、彼らはみな20歳前後だった。そして、それぞれがそれぞれの道を歩み、大袈裟だが、各々が各々の夢に向かって真っ直ぐに進んでいっているということは確かだと感じた。サラリーマンという生き方もあり、ベンチャーを立ち上げ独立するという生き方もある。あるいはハスラーになったという生き方も良いではないか。いずれにせよ、間違いないのは、そうやって異業種の輩が集まっても、若き頃「一つ」になった経験、体感を共有しているというのはとても貴重だということ。そういう言葉を具体的に交わすわけじゃないが、みんな懐かしく忘れられないようである。

マーラー:交響曲「大地の歌」
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
ミルドレッド・ミラー(ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)

「大地の歌」。李白や孟浩然の漢詩をハンス・ベトゥゲが独語訳した歌詞にマーラーが曲をつけた全部で6楽章の交響曲。しかし、交響曲とは名ばかりで、実際には奇数楽章にはテノール、偶数楽章にはソプラノ、アルトまたはバリトンを伴った連作歌曲といったほうが正しい。ベートーヴェン以降、幾多の交響曲作家が第9番を書き上げて亡くなっていることにジンクスを感じ、マーラーは、あえて「9」という数字を避けるために第9番目の交響曲に「大地の歌」という名称をつけた(ただ、現実には次に創作した第9交響曲がマーラーの完成した最後のシンフォニーになったゆえ、結果的には「9」のジンクスを回避することはできなかったわけだが)。この曲はまさに西洋と東洋が融合したような「不思議な音感」を聴くものに与える作曲者最大の傑作だと僕は思うのである。特に、終楽章「告別」はタイトルどおりキリッとした肌寒い今の季節に独り佇み耳を傾けるのにぴったりの楽曲である。

夕陽は西の彼方の向こうに沈み
日没過ぎて、しんしんと冷気満ち、
暗闇迫り、渓谷すっぽり包み込む
おお、あれを見よ。銀の小舟のように
月はゆらゆら蒼天の湖にのぼりゆき
私は松ヶ枝の暗き木陰にたたずんで
涼しげな風を身に受ける

美しき小川のせせらぎ 心地よく
この夕闇を歌い渡るぞ
花は黄昏(たそがれ)淡き光に色失う
憩いと眠りに満ち足りて 大地は息づく
全ての憧れの夢を見ようとし始める

生きる苦しみに疲れし人々 家路を急ぎ
眠りの内に過ぎ去りし幸福と青春
再びよみがえらそうとするように

鳥は静かにすみかの小枝に休みいて
世界は眠りに就くときぞ
(後略)
~孟浩然の詩「宿業師山房期丁大不至」

ところで、昔、サントリーのCMだったかで第3楽章「青春について」が使われていたが、確かその時のキャッチコピーが「時代が私に追いついた」というものだったように記憶している。確かにこのエキゾチックな感覚などは当時のヨーロッパの人々には意外に受け容れ難いものだったのかもしれない。
ちなみに、この音盤は1984年当時僕が人生で初めて購入したCD。録音当時のプロデューサーであったジョン・マックルーアによる22年ぶりのリミックスによるとてもクリアーな音源で、学生だった僕はその音の鮮明さと重みにぶっ飛んだことを思い出す。

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