ウェルナー・トーマスの「ヴィルトゥオーゾ・チェロロマンティック」(1983.5録音)を聴いて思ふ

僕は「夕星の歌」を聴くと、映画「ルートヴィヒ」でかのバイエルン王が、何羽もの白鳥がたおやかに泳ぐヴィーナスの洞窟で小舟に揺られ悦に入るシーンを思い出す。たぶん僕の場合、「タンホイザー」を知る前に「ルートヴィヒ」を観ていたから、あの場面の印象がイコール「夕星の歌」と自動的に想起されるように刷り込まれてしまっているのだと思う。

ルキノ・ヴィスコンティ監督作「ルートヴィヒ」では、歌のパートをチェロ独奏が受け持つ版が使用されていた。チェロ独特の、暗くくぐもった、そして甘い音色が美しい旋律とともに即座に僕の心をとらえた。あれは、クレジットによるとフランコ・マンニーノ指揮聖チェチーリア音楽院管弦楽団による演奏だそうだが、少なくともチェロ版であれを凌駕するものを僕はいまだ聴いたことがない。

人の声に最も近い音調だとされるチェロの歌は、僕たちの魂を間違いなく癒す。
何よりあの宮沢賢治が愛したチェロである(彼がチェロを習ったのはたった3日間だったそうだが)。

陽が照って鳥が啼き
あちこちの楢の林も、
けむるとき
ぎちぎちと鳴る 汚い掌を、
おれはこれからもつことになる
横田庄一郎著「チェロと宮沢賢治―ゴーシュ余聞」(音楽之友社)P120

そしてまた、自然を愛したカザルスが生涯をその練磨に費やした楽器だ。

自然には季節の移り変わり、昼と夜の交代、潮の干満など、はてしない栄枯盛衰がしみわたっている。絶え間ない変動は―心臓の鼓動、呼吸のリズムなど―生あるものの、生物としての核心でもある。しかしこのような波動は、けっして生理現象にとどまらない。われわれの思想、ファンタジー、情感、夢想なども起伏してゆれ動き、変化しながら最高潮にまで発展してゆき、そして沈下する。「自然はけっして一箇所にとどまってはいない。たえず揺れ動く」とカザルスは感慨ぶかげに語った。
デイヴィッド・ブルーム著/為本章子訳「カザルス」(音楽之友社)P34

音楽の持つ高尚な曖昧さが愛おしい。

ヴィルトゥオーゾ・チェロロマンティック(ウェルナー・トーマス=ミフネ編曲)
・オッフェンバック:ジャクリーヌの涙
・フランセ:ロンディーノ
・フランセ:セレナード
・オッフェンバック:夕べの調和
・フランセ:常動曲
・フランセ:子守歌
・ポッパー:タランテラ
・シューベルト:蜜蜂作品13-9
・フォーレ:夢のあとに作品7-1
・パガニーニ:ロッシーニの「モーゼ」の主題による幻想曲
・ワーグナー:夕星の歌~歌劇「タンホイザー」
・サラサーテ:サパテアード
・オッフェンバック:天国の二人の友
ウェルナー・トーマス(チェロ)ハンス・シュタートルマイヤー指揮ミュンヘン室内管弦楽団(1983.5.3-5録音)

チェロのための有名曲あり、知られざる佳曲あり。
伸び伸びと晴れやかなジャック・オッフェンバックの「ジャクリーヌの涙」に文字通り涙し、滋味深いガブリエル・フォーレの「夢のあとに」に心動く。また、リヒャルト・ワーグナーの「夕星の歌」の清澄な祈りの歌!
ちなみに、「蜜蜂」という作品は、シューベルトはシューベルトでも、ウィーンの有名なシューベルトではなく、1808年にドイツはドレスデンで生まれたヴァイオリニストの同姓同名のフランツ・シューベルト。1分強の短い曲だが、細かい動きがあって、まさにヴィルトゥオジティ溢れる佳品。

 

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