ルキノ・ヴィスコンティ監督作「ルートヴィヒ」(1972)を観て思ふ

ルキノ・ヴィスコンティの理想と現実。
ドイツ3部作の最後を飾る「ルートヴィヒ」は4時間という長尺のドラマだが、幻想的な映像と、復元完全版におけるゆったりと持続するシーンに独特の緊張感があり、一瞬の飽きなく鑑賞できる凄みを持つ監督畢生の大作である。
おそらく男色であったヴィスコンティの、ルートヴィヒ2世にも通じる「同性への憧憬」が見事に刻まれるこの映画は、私小説的でありながら、狂った(といわれる)バイエルン国王の即位から死までを美しく紡ぐ、透き通った退廃的美しさが露わとなる傑作であると僕は思う。

ノイシュヴァンシュタイン城で、半裸の少年を膝にし、ビールを飲みながら彼の髪を撫でるルートヴィヒの異様で恍惚とした風貌が痛ましい。

「ツァーの皇女との話を聞いたわ」
「知ってるよ。でも結婚する気は、まだない。ぼくまだ19歳だもの」
「あなたの噂、あれはほんとうなの?」
「どんな噂?」
「女を知らないって・・・」
「ぼくはカトリックだもの」
「それが理由?孤独が好きなんですって。“月光の君”ですって。私もそうだけど、ジークフリート気取りではなくてよ」
「ジークフリートが、ただ一度恐れを感じたのはどんなときだったか知っている?はじめて彼が女に会ったとき・・・」
「ブック・シネマテーク4 ヴィスコンティ集成」(フィルムアート社)P217

そして、映画の最初の頃に描かれるエリーザベトとの会話がすべてを物語る。
ヘルムート・バーガーの、ヴィスコンティへの尊敬と愛の漲る演技が素晴らしい。

ワーグナーが以前に主張した人類の夢は、ずっと前からルートヴィヒ王のオペラ的世界解釈の中に受け入れられていた。厳格なカトリック的かつ君主主義的教育を受けたにもかかわらず、ルートヴィヒにとって異教のギリシャから着想を得た謀反人ワーグナーは、すでに「ほんの小さなとき」から「最高の教師であり教育者」だった。聖杯の世界から政治という俗世へと遣わされた光の英雄のドラマ「ローエングリン」を「非常な歓喜の涙」の下に観た15歳のとき、彼はワーグナーの「散文著作」を「燃えるような渇望」をもって貪り読んだ。「未来の芸術作品」(この作品はついでに古典世界の同性愛の讃美にも触れている)は彼の愛読書になった。
ヨアヒム・ケーラー/橘正樹訳「ワーグナーのヒトラー―『ユダヤ』にとり憑かれた預言者と執行者」(三交社)P177

アドルフ・ヒトラーもルートヴィヒ2世もとり憑かれた「ローエングリン」の物語と音楽は何より崇高で美しい。そして、映画の中で、皇帝がリンダーホフ城の「ヴィーナスの洞窟」で小舟を回遊するときに流れる「タンホイザー」から「夕星の歌」の悲しくも懐かしい美しさ。

首相はわかっておらぬ。ワグナーとの友情のほうがずっと大切なことを。ワグナーが見つかるまでは行かぬと彼に言え。
「ブック・シネマテーク4 ヴィスコンティ集成」(フィルムアート社)P216

敬愛どころか、ワーグナーを神と崇めるルートヴィヒの異常な執着は、ワーグナーへの献身的な財政的サポートに実を結ぶが、この件について当時は否定的な見解が大勢を占めたとはいえ、歴史的に見てワーグナー芸術を葬り去ることなかったその狂気的英断には拍手を送っても良いと思う。

ウーゴ・サンタルチーア制作
ルキノ・ヴィスコンティ監督作品
「ルートヴィヒ」(1972)
ヘルムート・バーガー(ルートヴィヒ)
ロミー・シュナイダー(オーストリア皇后エリーザベト)
トレヴァー・ハワード(リヒャルト・ワーグナー)
シルヴァーナ・マンガーノ(コジマ・フォン・ビューロー)
ゲルト・フレーベ(ホフマン神父)、ほか
原案・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、エンリコ・メディオーリ
衣装:ピエロ・トージ

ルートヴィヒ2世のワーグナー発見は先見の明。
しかし、彼自身の人生の(謎といわれる)最期同様、期せずして生き様がアドルフ・ヒトラーに引き継がれたという不幸がいかにも悲しい。

ヒトラーは空想の中に住む英雄たちに囲まれ、若い頃の神聖なワーグナー体験を思い出し、ルートヴィヒの「完成者」としての己を告白した。ヒトラーの説明によれば、ルートヴィヒの建築的使命は「下劣な議会主義的平凡さに対する天才の抗議「だった」。「今日、この抗議を実現し、議会主義の支配を完全に除去する」ことにより、アドルフ・ヒトラーはルートヴィヒ王の夢を叶えることになる。宰相になったワグネリアンがろうそくに照らされた聖杯城から出ると、庭から信者たちの「ハイル」という叫びがどよめいた。
ヨアヒム・ケーラー/橘正樹訳「ワーグナーのヒトラー―『ユダヤ』にとり憑かれた預言者と執行者」(三交社)P175

ナチスに政治的に利用された「ローエングリン」第3幕第3場、ハインリヒ王の言葉が虚しく響く。

かたじけない、親愛なるブラバントの諸君、
ドイツの国の各地で
かくも強大な軍勢の集結を見るたび
喜びに胸が熱くなる。
敵はわが国に迫らんとするも
果敢に迎え撃ち
二度と東方の荒野から
侵入を許すまい。
ドイツの国を守るべく、ドイツの剣をとれ!
今こそ国の力を示すのだ。
日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫/池上純一編訳「ローエングリン」(五柳書院)P95

満身創痍で「ルートヴィヒ」の編集を終えた後、もしも自分の命が長らえるなら、次回作はトーマス・マンの「魔の山」だと語っていたヴィスコンティは、それから4年後、亡くなった。残念だ。

 

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