フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「ローエングリン」抜粋(1936Live)を聴いて思ふ

歴史と背景を知ることが大切だ。

部分的でありながら、この時代にしては信じられないような音質で録音が残されている奇蹟。悲惨な戦争に突入する前、ドイツ帝国がいまだ洋々と世界を牛耳ろうと計画し、同時に具体的行動を起こしていた1936年夏。ベルリン・オリンピックの直前のバイロイト音楽祭の貴重な記録。

初演を聴いたヒトラーは彼の専門知識が本物であることを証明した。後にヴィニフレートが飽きることなく語り続けたように、フェルカーが予告なしに〈グラール語り〉の第二節を歌い始めると、ヒトラーはすぐに反応した。彼はまずびっくりし、驚きを禁じ得ない顔をした。まるで問いかけるようにヴィニフレートの手を握った後、「ああ、分かった」と言うかのように頷いた。公演が終わると、オリジナルを聴けたことに彼は深くに感謝していた。
ブリギッテ・ハーマン著/鶴見真理訳/吉田真監訳「ヒトラーとバイロイト音楽祭―ヴィニフレート・ワーグナーの生涯(上・戦前編)」P379

残念ながら〈グラール語り〉の削られた第二節の録音は残されていないが、フランツ・フェルカーの感動的な歌唱と、あまりに熱を帯びるフルトヴェングラーの指揮に思わず唸ってしまう。何より臨席していた総統が感動のあまり涙したというのだからこの演奏の凄まじさはいかばかりだったか、古い録音を超えて、ワーグナーの崇高な音楽が我が身に染みる。

フルトヴェングラーが指揮したこの《ローエングリン》は、音楽的にも演出面でもバイロイト音楽祭が到達した頂点とも言うべきもので、全世界に向けてラジオ中継された。第三帝国は芸術を理解していると大々的に宣伝することに、ヒトラーは成功した。外国でラジオを聴いた多くの人々の中には、中継に対する相反する感情を日記に記したトーマス・マンもいた。「本来はペテンに耳を貸さぬために、聴いてはならないものだ。あそこで行われている全ては根本的に唾棄すべきものなのだから」。
~同上書P380

時代の真っ只中にいた当事者であるなら確かにマンの言い分は理解できるだろう。しかしながら、80余年を経た今となっては、少なくともラジオ放送がなされ、それが抜粋という形であれ残された事実に感謝したいところ。時代の雰囲気まで刷り込まれた、何ともカルト的な一世一代の「ローエングリン」の記録は何が何でも聴いておくべきものだ(ちなみに、この日の第1幕前奏曲は深淵から湧き上がる煌く一条の光の如くの繊細さを秘めていて、これはTahra1091で聴くことができる)。

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第3幕(抜粋)
・前奏曲
・第1場「真心こめて」(婚礼の合唱 結婚行進曲)
・第2場「快い歌声は消え」(婚礼の部屋の場 愛の二重唱)
・第3場「ハインリヒ王万歳!」(行進と国王の入場)
・第3場「遥かな国に」(グラールの物語 聖杯の歌)
・第3場「愛する白鳥よ」(ローエングリンの告別と終曲)
ヨーゼフ・フォン・マノヴァルダ(ハインリヒ王、バス)
フランツ・フェルカー(ローエングリン、テノール)
マリア・ミュラー(エルザ、ソプラノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1936.7.19Live)
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」
・第1幕前奏曲とイゾルデの愛の死
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1954.4.27Live)
・第2幕第3場「いまトリスタンがこの場から別れて行くところへ」
・第3幕第3場「誰もが死ぬ、みんなが」
ルートヴィヒ・ズートハウス(トリスタン、テノール)
ゴットロープ・フリック(マルケ王、バス)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1947.10.3Live)

死の年の「トリスタンとイゾルデ」からの2曲も壮絶の一言。相変わらずティンパニは轟き、音楽はうねりにうねる官能の極致。さらに、1947年のアドミラル・パラストでのリハーサル・ライブ断片ながら、フルトヴェングラーの陶酔の表情が手に取るようにわかる濃密な管弦楽にズートハウスとフリックの情感豊かな歌が絡み最高の表情を醸す。

ところで、フルトヴェングラーの音楽の根底にあるこれほどまでの官能のもとは何なのだろう?

ごく幼いときから、ヴィルヘルムは自然に対して強い関心を示し、4歳のときには音楽的才能を現した。そのころの彼は、生まれつきの高い知能が原因で、同じ年頃の子供たちと親しく交わることができず、ときには自分が孤立しているのに満足することさえあった。子供たちが互いに接する中でよく見せる、あの幼児期特有の残忍ないじめの対象にヴィルヘルムが選ばれることもしばしばだった。
サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・上」(アルファベータ)P25

知性と類稀な集中力と、そして大自然への崇敬の念。答えの一つはそこにありそうだ。

音楽の分野における才能と並行して、彼の女性に対する関心もほとんど桁はずれに発達したが、それは15歳の少年が抱きがちな狼のように荒々しい憧憬のたぐいではなく、消極的な関心だった。ヴィルヘルムは女性が周りに喜んで集まり、いつでも相手になりたがる祝福された少年の一人だった。長ずると、彼は優に6フィートを越える青年になった。青い瞳が濃い眉のもとで輝き、つやつやの金髪がもじゃもじゃと頭を飾っていた。一日で女性の心を惑わすようなすべての特徴があったにもかかわらず、ヴィルヘルムは相変わらず生まじめで、よそよそしいままだった。
~同上書P27

そして、もう一つ、異性の心をくすぐる控えめでありながら積極的な内面が確実にものを言ったのだということがわかる。おそらくそれは、リヒャルト・ワーグナーの持つ性質とほぼ相似ではなかろうか。
フルトヴェングラーのワーグナーの素晴らしさは、鬱積した官能を一気に解放する瞬間の忘我にあるのだと思う。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー63回目の忌日に。

 

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