一見脈絡のない、分断された音の塊りがぶつかり合いながら表出される様に、理解不能というレッテルを貼ってしまっていたが、いわゆる前衛の、現代の音楽は、実際は目に見えない計算されたつながりの中にあり、そのことを理解したときに初めて扉が開かれ、それによって過去の音楽作品が一層近しいものになり、それらが歴史という一本の金線で確実に結びついているものだということが腑に落ちる。
たぶん、たぶんだけれど、古の音楽と現代の音楽を結びつけるハブの役割を担ったのが(新ウィーン楽派の面々でなく、またオリヴィエ・メシアンでもなく、もちろんジョン・ケージでもなく)ピエール・ブーレーズだったのだろうと僕は思う。
「聴く」という行為によって、最高のかつもっとも厳しい秩序、これは星のシステムのような秩序であり、また宇宙の秩序であり不変性であるが、それを得られる方法に関する正確な知覚を理解しても、私たちはこの秩序をこのようには聴かない。そうではなく、私の言うところの秩序こそを聴くのであり—あるいは聴くであろう—、この秩序を知覚することによって、これまで経験したことのない美的な満足感がもたらされるであろう。
~ヴェロニク・ピュシャラ著/神月朋子訳「ブーレーズ―ありのままの声で」(慶応義塾大学出版会)P41
ブーレーズは僕たちにピエール・ブーレーズの音楽を聴けと言う。
果たしてイェルク・ヴィトマンは、ブーレーズは自分とは全く正反対のタイプでありながら、彼なくして今の自分はないと言い切った。少年の頃、彼のコンサートに行ったことがすべてのきっかけであり、おかげで生前幾度も仕事を共にすることができた。何よりもブーレーズは、どんなに高齢になっても好奇心旺盛で、若い人から常に何かを学びとろうと努力した人だったことが尊敬に価するのだと。
今や現代の古典となりつつある(?)ブーレーズ。
ブーレーズ:
・フルートとピアノのためのソナティヌ(1946)
・ピアノ・ソナタ第1番(1946)
・フルート、クラリネット、ピアノ、ヴィブラフォン、ヴァイオリンとチェロのための「デリーヴⅠ」(1984)
・フルートと8楽器のための「メモリアル」(「固定/爆発」のオリジナル)(1985)
・クラリネットのための「二重の影の対話」(1984)
・16人の独唱、合唱と室内オーケストラのための「カミングスは詩人である」(1970)
ソフィー・シェリエ(フルート)
ピエール=ロラン・エマール(ピアノ)
アラン・ダミアン(クラリネット)
BBCシンガーズ
ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(1990.3-9録音)
超絶難曲としてヴィトマンが昨日語っていた「二重の影の対話」が、このアルバム中の白眉だろうか。1台のクラリネットが縦に横に、そして上に下に、恐るべき3次元的技巧を持って人声のごとく語る様にため息がもれる。
私はそこに、1つの絶対的な明白さを見る。ただ状況から出発し、だが状況の外側で自己を凝縮することによってのみ、個人は自己実現を手に入れることができるのだ。そして、状況を拒絶することによってのみ、人間は自己の超越へと導かれるのである。
~同上書P174
肉体と魂を切り離せと彼は言う。そして、すべての答は自分の中にあるのだとも。
あくまで主題が「影」であることが意味深い(ブーレーズの音楽が理解し難いのはそのせいであり、頭でなく感覚で捉える以外に方法はないと僕は思う)。
信念の有無は、私にはもっとも重要なものでも、最も興味深いものでもない。存在の昇華における人間の生成を信じることこそ、私にははるかに本質的で関わりがあることである。
~同上書P174
魂の復活をブーレーズは心から確信していたようだ。
ならば彼が、エドワード・エスリン・カミングスの詩に触発されたのもわからぬでもない。
1946年の作品「ソナティナ」は、思った以上にとっつきやすい。
(尺八を髣髴とさせる)フルートの空気をつんざくような破裂音に興奮し、それに対するエマールの音楽に共感したピアノの壮絶な伴奏の妙。同年の(作曲者自身が「青春の思い出」とする)ソナタ第1番も、相反する2つの楽章が一体となり、それこそ存在の昇華を表現するもののように聴こえる。エマールは本当に巧い。
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