変革

午前中から友人の結婚パーティー。先週も別の友人の結婚式だったから2週連続ということになる。 2次会である知人と立ち話をしていたのだが、2007年は間違いなく「変革」の年である。意識しようが意識しまいが自ずと「何か」が確実に変わる年回りのようである。それは去年の初めくらいから言われていたことなので驚きはしないが、身の周りを注意して眺めてみると本当に大勢の仲間たちの「転換期」が訪れているのだと気づかされる。
「変化」が見た目に「プラス」の場合は人間そうは驚かないし、当たり前のように構えるのだが、「マイナス」や「壁」であったりすると途端にうろたえる。ひどい時は世の中のせいにしたり他人のせいにしてしまうのが世の常だ。
しかし、普段から「自省する」癖のついている僕らの仲間はさすがで、「壁」を「壁」として捉えず、むしろ「チャンス」として考えるので、確実に乗り越えることができるし、今この瞬間を楽しむことができるということがとても大きい。
とはいえ、ただの頭でっかちポジティブ思考だと話にならないわけで、一つ一つ着実に行動を起こし、形にしていくことが大事だ。

ところで、六本木の「空気」は決していいものだとは言えない。パーティーで出されたフォワグラのソテーやビーフ・フィレステーキの「重さ」と相俟って正直身体は決して軽くはない(自称ベジタリアンなので日常では肉類を口にすることはまずないのだが、公の場で出された時はやはり美味しくいただかないと失礼にあたるので・・・)。こういう時は決まって「浄化音楽」を欲する。

The Velvet Underground:The Velvet Underground

パーソネル:
ルー・リード(ギター、ヴォーカル)
ダグ・ユール(キーボード、ベース、ドラムス、ギター)
スターリング・モリソン(ギター、ベース)
モーリン・タッカー(ドラムス)

ジョン・ケイルが脱退し、ルー・リード色が一層強くなった第3作。ルーの持つ叙情性とジョンの前衛性、暴力性がぶつかり合い、良い意味でお互いの主張が溶け合って成立していた第1作は間違いなく大傑作なのだが、昨日書いたロキシー・ミュージック同様ジョンが抜けたことで予期せぬ「調和」が生まれた、ルー・リードのソロ作といってもおかしくないヴェルヴェットの裏名盤ともいうべきこの音盤のほうが好みといえば好み。
Candy SaysからラストナンバーAfterhoursまで息つくまもなく「聴かせてくれる」が、やはり名曲「Pale Blue Eyes」でのルーの優しさいっぱいのヴォーカルは涙なくして語れないほどだ。90年ごろにルー・リード&ジョン・ケイルが1度きりの来日公演をしたとき、NHKホールでのアンコールにて何とジョン・ケイルがこの曲をピアノ弾き語りで歌い始めたときの観客の熱狂と興奮はいまだに忘れられない。

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2 COMMENTS

アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 美女と野獣~ヴェルヴェッツの音楽性

[…] 久しぶりに外出予定がなかったものだから、先日棚を整理した際発見したボックス・セットを昼からずっと聴いている。60年代後半のニューヨークのアンダーグラウンドの混沌とした雰囲気までもが収められている5枚組。音質は概して良くない。でも、この音の悪さから途轍もないエネルギーが一層発散されるのだから、彼らの音楽の力というのは並大抵でない。第1作バナナのアルバムの調和とカオスが入り乱れる独自の世界。”Sunday Morning”も”All Tomorrow’s Parties”も”Heroin”も・・・。音盤を順番に取り換えてゆくと、John Caleの個性が前面に出るセカンドの異様な破壊力が際立つ。このバンドの核心というのは実に2枚目”White Light/White Heat”にあったのかと思わせるほど。そして、Lou ReedとJohn Caleが袂を分かった後にリリースされた3枚目の、気が遠くなるような静謐ながら力強い抒情的美的センスよ。4枚目”Loaded”にはもはや求心力が明らかに欠けている。もちろんこのアルバムだけを採り上げれば非常に優れた作品なのだけれど・・・。 […]

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