アルバネーゼ ピアース メリル トスカニーニ指揮NBC響&合唱団 ヴェルディ 歌劇「椿姫」(1946.12録音)

放送時間に収めるためにトスカニーニの指揮する歌劇「椿姫」の録音は、いくつものカットがある。それでも、生命力豊かで、古い放送録音ながら音楽が色褪せないのは、トスカニーニがヴェルディのこの名作を自家薬籠中のものにしていたからだろうと思う。

1920年代初頭のスカラ座でのこと。

ダッラ・リッツァ—主に、”ヴェリズモ“のレパートリーで名声を得ていたクリーム色の肌の31歳のリリック・ソプラノ歌手—は、シーズンの次の制作である《椿姫》で、初めてトスカニーニと共演して歌った。アルフレード役はペルティレで、ジェルモン役はルイージ・モンテサントがフランチと交互に歌った。彼女は以前に、第1幕のカバレッタ、「センプレ・リベラ」(いつも自由で)でコロラトゥーラのような軽快さを必要とするヴィオレッタ役を歌ったことが無かった。しかし、トスカニーニは常に、最近引退したストルキオのように、その曲をやりおおせるだけでなく、強烈に感情的で劇的な第2及び第3幕を伝えられるヴィオレッタ役を望んだ。「彼は多くの歌手、私の声より良い声の歌手も検討したと、私は思う。しかし、彼女達は皆『軽い』声だったので、彼の考えではヴィオレッタの役には適していなかった」と、ダッラ・リッツァは回想している。
ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(上)」(アルファベータブックス)P476

「《椿姫》は感情が必要だ!」とはリハーサル中のトスカニーニの言葉。
最後は病に亡くなるヴィオレッタを、演技共々歌唱ができる歌手はそれほど多くなかろう。確かに第1幕と第3幕でヴィオレッタに要求される感情はまるで別人ではないのかと思わせるほどのものなのだから。

戦後まもなく、NBC交響楽団との放送用の録音時のエピソードがまた面白い。

10ヶ月前に録音された彼の《ボエーム》の放送と異なり、トスカニーニの《椿姫》上演は、ライブ放送された時に論議を呼び、その後ずっと論議を呼んできた。トスカニーニ自身が結果に不満だった。彼はアルバネーゼを題名役に選んだことを後悔し、若いイタリア人のピアニスト兼指揮者、フランコ・マンニーノに、この上演で彼が採った異常に速いテンポの一部は、舞台上演では不可能だろうということを認めた。トスカニーニが爽快な速度で指揮した、ヴィオレッタのカバレッタ「センプレ・リベラ」(いつも自由で)の全体リハーサル中、彼はオーケストラに、テンポを緩ませないよう忠告し、それから、奏者達及び37歳のソプラノ歌手に冗談を言った。「彼女も私に付いて来るだろう。それで、彼女は、私に付いて来なければ取り残されるだろう。しかし、彼女は私を愛しているので私に付いて来るだろう」。彼女は取り残されなかったが、心地よくもなかった。
ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(下)」(アルファベータブックス)P403

トスカニーニにとって第1幕の「センプレ・リベラ」こそが「椿姫」上演の決め手だったということだろう。そして、放送時間が迫ることによって、しばしばラストスパートが起こったという事実が指摘されており、トスカニーニ自身も、カットなしの全曲の録音を後日望んだそうだ。

トスカニーニは、緊迫度の少ない状況で、違うソプラノ歌手と共演して、そして、ラジオの放送時間の必要条件に応えるためにカットしていた部分の大部分もしくはすべてを復元して、《椿姫》のスタジオ録音をしたいと思った。1947年3月3日、RCAは、彼が《椿姫》及びもう一つのオペラ全曲—恐らく(?)《ラ・ボエーム》—を録音すると発表したが、そのプロジェクトは中止された。なぜなら(ガードナーによれば)歌手達がリハーサル時間への支払いを要求したからであり、そして、トスカニーニが、録音セッションは彼の嫌うマンハッタン・センターで行なわれると告げられたからだった。
~同上書P404

何とも商業上のところで中止になっていることが残念だ。

・ヴェルディ:歌劇「椿姫」
リチア・アルバネーゼ(ヴィオレッタ・ヴァレリー、ソプラノ)
ジャン・ピアース(アルフレード・ジェルモン、テノール)
ロバート・メリル(ジョルジョ・ジェルモン、バリトン)
マクシーヌ・ステルマン(フローラ・ベルボー、メゾソプラノ)
ジョン・ギャリス(ガストーネ子爵、テノール)
ジョージ・チェハノフスキー(ドゥフォール男爵、バリトン)
ポール・デニス(ドビニー侯爵、バス)
アーサー・ニューマン(医者グランヴィル、バス、)
ジョハンヌ・モーランド(アンニーナ、ソプラノ)
ピーター・ウィロフスキー(合唱指揮)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団&合唱団(1946.12.1&8録音)

指揮者の怒声(?)さえ聞こえる、迫真の「椿姫」!
いくつかのカットなど何のその、ここにはヴェルディ中期の傑作のひとつの完成形があるように思う。引退後、トスカニーニは「リゴレット」「イル・トロヴァトーレ」の全曲録音もやっておけば良かったと後悔したそうだが、確かにそれらの録音が残されていたら、オペラ・レコード史は大きく変わっただろう(大袈裟だけれど)。

個人的には第3幕にトスカニーニの真骨頂を思う。
前奏曲が終っての、アンニーナとヴィオレッタのやり取り、そこに医者が絡む場面の得も言われぬ切なさを見事に表現し切っている(歌手陣も素晴らしい)。

身体は辛いのですが、心は落ち着いています。
昨夜、神父様が慰めてくださいました。
信仰は、病める者にとって救いですね。

(ヴィオレッタ、第3幕第2場)
オペラ対訳プロジェクト

そして、すべてが無になるヴィオレッタの臨終シーンの神々しさよ。

不思議だわ!
痛みが
止んだのです。
私の中で甦った・・・動いている、
いつにない強さが!
ああ!きっと生きられるのね、
(身震いする)
ああ、嬉しいわ!

(ヴィオレッタ、第3幕最終場)

愉悦満ちる第1幕前奏曲との対比はヴェルディの真骨頂!

マリア・カラスのヴェルディ歌劇「椿姫」(1953.9録音)を聴いて思ふ マリア・カラスのヴェルディ歌劇「椿姫」(1953.9録音)を聴いて思ふ リッツィ指揮ウィーン・フィルのヴェルディ「椿姫」(2005.8録音)を聴いて思ふ リッツィ指揮ウィーン・フィルのヴェルディ「椿姫」(2005.8録音)を聴いて思ふ カルロス・クライバーの「椿姫」を聴いて思ふ カルロス・クライバーの「椿姫」を聴いて思ふ 椿姫とフランツ・リスト 椿姫とフランツ・リスト

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