
かれこれ30数年前、思わずこみ上げるものがあった。
終戦記念の日、テレビをつけると「火垂るの墓」が再放映されていた。思わず見入った。やっぱり感動した(年齢を重ねた今の方がより心に、そして魂に響いたように思う)。放映は7年ぶりらしい。
近年は視聴率の低下のためしばらく放映されていなかったのが、戦後80年の節目ということで適ったそうだ。人々の記憶を風化させないためにせめて8月15日には観た方が良い映画だと思う。
物語の終盤、蓄音機でSPレコードが鳴る。
ガリ=クルチが歌う「ホーム・スウィート・ホーム」(埴生の宿)だ。
不世出のソプラノの、どこか懐かしい歌唱にも心が動く。
45年ほど前、RCAのアコースティック録音がLPに復刻され(赤盤復刻シリーズ)、その音盤を繰り返し聴いた(当時のレコードはもはや手元にない)。
ある意味、僕の「歌」の原点だ。
一年四ヶ月の妹の、母となり父のかわりをつとめることは、ぼくにはできず、それはたしかに、蚊帳の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、汗疹と、虱で妹の肌はまだらに色どられ、海で水浴させたこともある。
~野坂昭如「アドリブ自叙伝」P269
ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。
~同上書P272
野坂昭如の心の深層を吐露した反面教師たる小説は、本人の贖罪と鎮魂のために書かれたものだという。
確かに、小説中の兄、清太ほどの慈愛は野坂の中にはなかったのかもしれない。否、あるにはあったのだが、あのように正面から、素直に想いを表に出せる人ではなかった。だからこそ逆にこの小説は、そして映画は感動的なのだと思う。
清太と節子が最後に住んだのは廃れた防空壕だった。
まさに「ホーム・スウィート・ホーム」に歌われる、どんな粗末な家でも生い立ちの家は楽しく、また頼もしいという内容に相応しく、ガリ=クルチの哀愁漂う歌唱が、その詩に輪をかける。